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2008/02/16

茂木健一郎『「脳」整理法』

以前に読んだ「五十歳からの危機管理」と同じときに近所のブックオフで購入した新書。

「脳」整理法の著者の茂木健一郎はソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャーである。

本書では:
「世界知」と「生活知」の乖離が広がっている。その間でその二つをつなぐのは一人しかいない自分の脳である。しかも、この二つのどちらにも偏ることなく出来事を「整理」するのは脳の働きなのである。
ということがテーマとなっており、題名から連想されるハウツーものではない。脳を考える上でのキーワードは「偶有性」(contingency)だ。これは、物事が半ば規則的で半ば予測不可能であるという性質である。この性質は科学では扱えないものであり、人間が有する性質である。人間自体が他人から見れば「偶有性」を帯びた存在であるがゆえに、人と人とのかかわりが創造的なものでありうる。
一方、「科学」は偶有性を排した「神の視点」からの論理によって形作られているが、科学者は自然言語と数式のようにハイブリッドな思考を使うことで「世界知」と「生活知」を行き来して事象を理解している。日常の多くの出来事が「偶有性」を持つがゆえにこれを整理することが脳の大きな仕事になる。

これらのことを説明した上で、偶有的な世界で生きていく上での脳を使う知恵をいくつか説いている。
ディタッチメント -- 「神の視点」に立っているかのように立場を一時的に離れてものごとを観察する
セレンディピティ -- 「行動」「気づき」「受容」が「偶然を必然にする」ために重要である
根拠のない自信をもつこと -- 「偶有的」な世界と渡り合うためにはすべてがコントロールできないことを認め、根拠のない自信を持って進む
大文字の概念 -- 「国家」「ネットワーク」などの公共的な概念にも「偶有性」を担保する。「私」に引き寄せて考える。

単に「こうすればこうなる」という助言ではなく、どうなるかわからない世界と渡り合うための知恵を脳研究の立場から考えている。しかも「科学否定」ではなく科学の恵みも享受することも忘れていないところに個人的には共感した。ディタッチメントや概念を語るときに主語を入れ替えることで偶有性を復活させるなどの方法論の導入の前の一節が気に入ったので以下に引用する。

昨今の日本のように、情緒的な科学離れが進む事態は、実にゆゆしきことです。「私は数学が苦手」だとか、「科学みたいなことよりぃ、私、ロマンティックなほうがいい!」とのたまっている人の顔を、私はまじまじとみて、それから静かに諭してやりたいと思います。
「科学の恵みに感謝して、科学的精神をきちんと育んでおかないと、その肝心な、ロマンティックな生活自体を失うことになるよ」と。


脳科学の長期的な課題である「世界知」と「生活知」の統一はまだ実現していないのだが、これに何らかの進歩があれば、翻って生活にも影響があるだろう。

また、科学離れを脳科学者というよりも一科学者の立場からコメントしている部分は重要だと思う。

人類の歴史を見ると、世界を自分の立場を離れてクールに見る「世界知」を忘れ、個人の体験に根ざした「生活知」に没入することは、きわめて危険なことだということを示す悲劇に事欠きません。「認知的距離」を大切にし、客観的なデータに語らせようとする科学的精神を大切にしないことには、大きな危険が伴います。
昨今、日本では「科学離れ」が喧伝されていますが、世界の大きな流れを見れば、日本人は、「世界知」の骨組みを揺るがせる「科学離れ」を放置している場合ではないのです。

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