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2009/02/28

漢字検定と公立高校入学選考基準

漢字検定協会が6億7千万円で豪邸購入
毎日新聞報道(魚拓)

漢検:収益をレース投入か 理事長長男の会社がスポンサー
毎日新聞(魚拓)

漢検協会理事長系4社に66億円 業務委託名目で支出
共同通信

協会業務を再委託 漢検理事長が代表の企業
共同通信

など、このところ漢字検定協会の会計に関するニュースが多く報道されている。

公益法人の会計に関しては所管の官庁がしかるべく処理してくれればいいと思うのだが、この状況に対して公立の学校での集団受験などはどのように対応されるのか、というのは気になる。

たとえば、神奈川県では県立高校の前期入試の評価点の中に漢字検定、英語検定が含まれていることがある。そのため、多くの中学生は少なくともどちらか一方の検定を受験していることが多い。選考基準ウェブサイトに掲載されるPDFのいくつかを斜めに読む限りでは、いくつかの高校にて漢字検定、数学検定、英語検定の3級で評価点が加点される仕組みとなっている。たとえば、海老名厚木愛甲地域をみると3級で加点するところが多い。

これは神奈川県が漢字検定の受験を間接的に奨励しているとも言えるので運営母体に問題がある検定はあまり好ましくない。少なくとも来年度に関しては漢字検定を対象から外すようにするべきではないかと思う。

さらに言うと、保護者の収入が減少することが見込まれる2009年度については、公立高校に限っては金銭負担の発生する検定の受験結果を基準は避けるたほうがいいのでは。

追記:
この件に関して、童夢の林社長がコラムウェブ魚拓)を書いている。
漢字検定に関してはその後目立った報道がない。林社長の書く通りの状況で、文部科学省のさじ加減で追及もそこそこ、というところなのだろうか。

2009/02/26

姜尚中 「悩む力」

夏目漱石とマックス・ウェーバーを補助線にして人生を語る本。

大学生に向けて書かれているのかなあ、と思いながら読むと意外と中年向けなメッセージがちらちら見えたりする。とくに最後の「最強の老人」になってやる、という著者自身の宣言の部分が痛快。この人は、ここに書いたとおりに大学を定年になったら本当にハーレーにまたがって全国行脚してあちこちで講演をして日銭をかせぐなんてことをやりそうな気がする。

一貫して言うのは「まじめに悩め」「自分自身を信じること」「人とコミュニケーションをとれ」ということ。変わり者の学者らしいメッセージを発信しているのではなく、本を読んで考え抜いてたどり着いた結論は当たり前のことだったようだ。
テーマは、ちょっと「青臭い」と言えそうな、自己、お金、知性、青春、宗教、働くこと、愛、死。下手をするとお説教だけになってしまう題材について書いているのは、著者なりの人生の仕上げみたいなものなのかな。

夏目漱石とマックス・ウェーバーをおすすめする本としても読める。実際、TV番組の街頭取材で「悩む力を読んで、改めて漱石を読み返してます」という人がいたのを見たことがある。

2009/02/24

[SBK] 2009年エントリーリスト

world super bikeの公式サイト上にエントリーリストが掲載された。

Aprilia Racing : ビアッジ(M. Biaggi)、中野真矢
BMW Motorrad Motorsport  :コーサー(T. Corser)、チャウス(R. Xaus)
Celani Race  :マーグリッジ(K. Muggeridge)
DFX Corse  :ラコーニ(R. Laconi)
Ducati Xerox Team  :芳賀紀行、ファブリツィオ(M. Fabrizio)
Guandalini Racing  :ロバーツ(B. Roberts)、シュメルツ(J. Smrz)
HANNspree Honda Althea  :ヒル(T. Hill)
HANNspree Ten Kate Honda  :チェカ(C. Checa)、レイ(J. Rea)
Kawasaki World Superbike  :パークス(B. Parkes)、玉田誠
Pro Ride World Superbike  :ラヴィラ(G. Lavilla)
PSG-1 Corse M. Baiocco  :バドヴィニ(A. Badovini )
Squadra Corse Italia  :イアンヌーツォ(V. Iannuzzo)
Stiggy Racing Honda  :ロルフォ(R. Rolfo)、ハスラム(L. Haslam)
Suzuki Alstare  :加賀山就臣、ノイキルヒナー(M. Neukirchner)
Team Pedercini  :サロム(D. Salom)、スカッサ(L. Scassa )
Team Sterilgarda  :ポリタ(A. Polita)、バーン(S. Byrne)
Ten Kate Honda Racing  :清成龍一
TKR Suzuki Switzerland  :レッシュ(R. Resch)
Yamaha France GMT 94 Ipone  :D・チェカ(D. Checa)
Yamaha World Superbike  :スピーズ(B. Spies)、サイクス(T. Sykes )

昨年参戦していた日本人選手の中富選手、青山選手がエントリーせず、MotoGPから中野真矢選手がアプリリアチームとして参戦。芳賀選手がベイリスが抜けたデュカティチームへ移籍。
MotoGPへの参戦機会をうかがっていたベン・スピーズがヤマハチームから参戦。

昨年後半戦だけを見ると芳賀選手にチャンピオンのチャンスがあるように思えるが、レイ、サイクス、スピーズなどの新加入の選手たちがどの程度走れるのかが未知数。レイはフィリップアイランドのテスト走行ではトップタイムを出したとの情報もあり、走りなれたコースではかなり速いことが予想される。清成選手は昨年はレースでの優勝は経験済みなので今年はシリーズ上位に入って、できれば芳賀選手と優勝争いをして欲しい。

JSPORTSのウェブサイトになかなか放送予定が掲載されずひやひやしたが、今年も放送されるようなので一安心。JSPORTSさんありがとう。

2009/02/18

柴田芳樹 「ソフトウェア開発の名著を読む」

八冊の本を柴田芳樹氏が紹介するという新書。もともと技術系の雑誌に連載されたものの加筆修正のため、一冊の紹介の分量は多くはなく、これらの本を読んだことのない技術者が取っつきやすいように内容を最初から最後まで「さらっと流」している。

ただ並べているだけではなく、8冊は3グループに大まかに分類されている。
  1. ソフトウェアは人が作る
    1. プログラミングの心理学
    2. 人月の神話
    3. ピープルウェア
    4. デッドライン
  2. 実践する開発者
    1. ソフトウェア職人気質
    2. 達人プログラマー
  3. 読みやすいコードを書く
    1. コードコンプリート
    2. プログラミング作法
自分が柴田氏と同年代ということもあり、こういう風に常に学習しなければならないのだなあ、と気付かせてくれる本。

8冊のうち、4冊は読んだことがあり、1冊は積読状態。2冊は聞いたこともなかった。

ところどころ、ベテラン技術者が若手に経験談を話しているような部分がある。たとえばこんな風。
私自身もある面接で、「strlen関数を、ループ文を使用しないで実現してください。」「C++のvirtualの意味を説明してください。」と聞かれたことがあります。前者は10分程度考えれば答えが出てきてほしい質問であり、後者は「C++でプログラミング経験があります」という人が、どのような態度で言語を使用しているかを知ることができる質問です。
通勤電車でこれを読んでしばらく頭の体操状態になった。前者は再帰呼び出しを使うコードを実際に書くところまでやるのが課題なのだと思う。index関数を使う、というのも考えたがindexはnullにはマッチしないのでダメ。後者はpolymorphismを説明すればいいんじゃないかと思う。

一冊ごとに、どういったところに着目して読んでもらいたいか、というアドバイスもついている。若手ばかりでなく勉強不足のベテランにもリフレッシュメントとしてはいいかも。ただし、それぞれの本の内容を要約してくれてはいないので、要約版を期待するとちょっと期待はずれに。

指導してくれるベテランがいない職場ではこういう本の紹介をしてもらえないから、技術系雑誌が流行の技術を追うばかりではなく定番の本を紹介するのは実は大切なことだろう。

ただし、紹介されている本の内容が古くなっていないとは言っても出版年(あるいは初出版年)が古いものが多く、最近の良い本まで手が届いていないことは気をつける必要がある。

2009/02/11

大山典宏 「生活保護 vs ワーキングプア 若者に広がる貧困」

著者はウェブサイト生活保護110番の創設者であり、福祉事務所のケースワーカーの経験を持つ公務員である。このウェブサイトに相談を寄せる相談者の年齢・性別分布をみると、世間の理解である「お年寄りや障害者、病気の方、母子家庭」という分布と大きく異なり、「二十代、三十代が相談者の中心、なかでも女性の相談者の割合が圧倒的に多い」とのこと。この疑問点を提示し、本書では、生活保護の窓口の運用、いわゆる「北九州市問題」、貧困状態に陥った若者と生活保護の関係、将来的な改善の方向と話を進める。

ケースワーカーとして生活保護の審査やフォローをした経験のある人でなければ書けない運用実務の現実は、「これって本当なの?」と言ってしまうような状態だ。その中でケースワーカー自身が心身を壊したり異動を希望するというのは理解できる。特に、若者を排除する方向になって行く窓口体制で若者と子どもたちにしわ寄せが行くということを、著者の現職である児童相談所の立場から書いている。その中の一つの悲しいエピソードがあとがきに書かれている。

生活保護は本来「より多くの利用者に、質の高い自立を提供すること」である。その思想は少し前に読んだ湯浅誠氏の「反貧困」の主張とも共通する。著者も湯浅氏も同じ問題に違う立場から取り組む中で解決方法はどの方向にあるかを探り当てているのだろう。若者が貧困から生活保護を受けざるを得ない(しかも、生活保護で解決はできない)ことをインタビューにより伝えようとしている。

著者は自立のための手段としての「プチ生活保護」(入りやすく、出やすい支援)体制の構築を提唱する。「プチ生活保護のススメ―我が家にも公的資金を! 短期間・不足分のみの受給もOK!」という本を監修した意図を「生活保護が誰でも気軽に利用できるサービスになってほしい」からと説明する。
極めてざっくりした計算でも自立を支援できるならトータルでのコスト(税金)は節約できるのだ。

一つ課題があるとすれば、若者や子供たちは「プチ生活保護」で救うのとは別に国民年金(月額六万円と少し)のみの支給しか受けられないお年寄りに対しては生涯続く経済的なサポートの仕組みを用意しなければならないのではないか、と言うことだ。だが、そちらの方にばかり気を取られていては、若者と子どもたちを生活保護で救うことはできないだろう。

その体制づくりのための原資として税金を使うことを納税者が納得できるのかどうか、そのための「説明責任」は行政側にあるのだが、実際にはボールは既に納税者側にあるような気がする。それよりなにより、適度な経済成長がなければ自立のための仕事がない、ということが目下の大問題か。


2009/02/08

[PTA] PTA組織図

常任委員会の任命もほぼ終わり、本部が指名されれば後は引き継ぎ、という時期になった。
先日の地区の常任委員の選任の立会いに行ったときに説明用資料としてPTA組織図をもらった。副会長を引き受ける時にはこういう資料をもらっていなかったので、初めて見るものだ。

川端裕人氏が「PTA再活用論―悩ましき現実を超えて (中公新書ラクレ)
」でも書いていたと思うが(連載の方だったかな?)、PTAは本部の下に下部組織がある、という構造ではない。活動の主役は各委員会で本部は裏方というかお金の管理や教育委員会、市P連、他校PTA本部とのやりとりなどを行うのが主な役割。

画像の下が切れてしまっているが、特別委員会の中に「花いっぱい推進委員会」がある。この委員会は常任委員のような指名制ではなく完全な(という言い方は変だが全く強制されないという意味で)ボランティアの活動である。学校内の花壇に関してのほぼすべての作業を中心になって行う活動。花が嫌いな人は強制しても何もできないから、くじ引きや指名で強制参加することはない。活動上、苗、肥料、土などの費用が必要となるため、PTAとしての予算を確保している。かなり自律的な組織ができていて、次年度の委員長や会計担当の引き継ぎなどはメンバーの中での話し合いで引き継がれて行く。たとえば、会計は複数人の担当者のうち経験者が未経験者に一年間の共同作業を通してノウハウを伝達する。

活動は一年間を通じて継続的に行わなければならず、水やりや花がら摘みと言った毎日のように必要な作業もあり、PTA活動の中で最も延べ活動時間が長いはずだ。それでも任意参加なのでレベルの高い活動が継続できている。卒業生の保護者や下の子がまだ小学校に在校している人も参加しているのでPTAという窮屈な枠からもはみ出しているとも言える。

PTAのすべての活動がこのように進めばいいのでは、と自分は思っているのだが、それだとやりたいことだけやって必要なことがなされない、という意見もある。

誰もやりたくないPTA活動ならそれは不要ってことじゃないの?というのはあまりにも現実離れしているのだろうか。

2009/02/07

玄侑宗久 「禅的生活」

読み始めた最初の章の中で
坐禅で脚を痛めることもなく、本を読んだだけで悟ろうなんて虫のいいことは誰も思っちゃいないかもしれないが、万が一そんな野心のある方への老婆心まで、である。
と言いつつ、「お悟り」とはどういう状態なのか、「お悟り」の状態を体験したと仮定して日常生活はどのように送るべきか、と話が進む。

坐禅というものをしたことが全くないので、本書で紹介された初関(初めて与えられる公案)を少し考えてみたが良く分からなかった。これだけで参禅して何年もかかる道場もあるとのことだから新書一冊でわかるわけがない。「悟り」に至らずにその果実だけをいただくような話なので、さすがにちょっと都合がよすぎるかもしれないのだが。

「お悟り」の状態は人間の脳が普段何気なく使っている脳の機能が働いていない、というか、一時停止しているような状態で「絶対的一者」を感じるらしい。最終的にはその一者さえも消えるような感覚だとも書かれている。だから素晴らしいと言えるのだが、同時に、この状態で通常の社会生活を送ることはできない。だから、著者のお師匠さまは「現実生活では悟りなどありゃせんわい」と言っているとのこと。

では「お悟り」を現実の生活でどう生かすかについて、筆者は

  • 因果に落ちない(過去の自分はすべて今という瞬間に展かれている。そして未来に何の貸しもない
  • ひとつの自己に「住する」ことなく常にチャレンジを繰り返す
  • いろいろな場を「方便」として演じていると意識する
のような方向性を示している。
日常生活に対する心構えについて、無数の抽斗のある巨大な箪笥を使った例えが面白い。
そこにある抽斗すべてが人の可能性だが、日常に開ける抽斗は決まっている。だからチャレンジ精神を持って背伸びして高い抽斗もあけ、遠くの抽斗もたまにはあけてみる。それが修行としての日常である。

禅宗の話なのにいわゆる「宗教」っぽさがなくて読んでいて楽。禅を生活に活かす(もっと楽に生きる思考法を身につける)ためのガイドブックとして書かれているからだろう。

新書の最後の数ページには禅語の索引がある。読んでいる途中でわからなくなった禅語を引けるので便利。

2009/02/06

[柏ヶ谷中学校] 職業体験

 
今年も2009年2月3,4日に柏ヶ谷中学校2年生の職業体験が2日間行われた。
今年の職業体験では協力先のマップが新聞の折り込みで配布された。裏表に地図を印刷したものが2枚、2月3日の朝、地域の家庭に配布されたことになる。
以前は、1,2年ともに職業体験だったのだが、今は1年生が職業調査インタビュー、2年生が職業体験、となっている。
PTAの常任委員会で以前に伺ったところでは、参観を兼ねて保護者が体験先を訪問することでお店の客が増えるという副次効果もあったのだとか。間接的に地域(というか校区内)経済の貢献しているかも。

受け入れのお願いをするのに先生方が手分けして地域のお店や事業所を訪問し、「一人でもお願いできませんか」と地道な開拓をされたとのこと。3年前の長男の在校時には、少し離れたお店にもお願いしていたのだが最近はほぼ校区近辺で受け入れていただけている。

このところの経済状況で地元のお店もそれどころではないのではとも思うのだが、それでも受け入れていただけるのはありがたいこと。

地元のお店が廃業・閉店などで少なくなるとこういった活動はできなくなってしまう。「小泉改革のせいだ」とも言えないが、ここ10年ぐらいの経済停滞は間接的に学区内の活動にも影響を与えてしまう。今あるお店が存続するだけでなく、もっといろんな仕事場が増えるといいなあ、と思いつつ。