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2014/07/07

ダイヤモンド・オンライン 小川 たまか 「やめたいのに抜け出せない」と親たちの悲鳴が噴出

ダイヤモンド・オンラインにPTAの記事が出るのは珍しい。特別なニュースがあったわけでもないので著者の選択によるのだろう。
片働きが減り、共働きが増えるにつれてダイヤモンド・オンライン読者にもPTAが身近なものとなっている、との想定で書かれたのかもしれない。

PTAという組織の問題点として
  • 活動内容がよくわからない
  • PTA会長の仕事内容がわからない
  • 男女差
  • 仕組みを変えたくても変えられない
 が挙げられ、取材から上がってきたPTA会員(保護者)のコメントが紹介されている。タイトルは「悲鳴が噴出」とセンセーショナルだが内容は冷静なもの。

PTA参加にはメリットもあると指摘し、その上で、PTA本来の目的として
PTAのそもそもの目的は、保護者と学校、さらに地域が連携して子どもの成長を見守ることだ。核家族化が進み、地域との連携が薄れていると言われる時代。 学校・地域と連携を取ることの大切さを、それぞれの保護者が身をもって実感し、意識することからPTAの改革が始まるのかもしれない。
として、

あなたが参加するPTAは、果たして変わることができるだろうか。
と結んでいる。

会則を変えるのが難しいこと、新しい手法の導入に消極的な抵抗が多いことなど「PTAあるある」が盛り込まれていて参加経験のある人は同意できるものが多い。

自分のような本部経験者が見ると、「強制加入」を前提とした記事になっているところが問題点だと感じる。多くのPTAがまだ「強制加入」であり読者のほとんどが有無を言わせず会員になっている現実を見るとしょうがないのかな。

おそらく(推測だが)、ここまで取材されているのであれば著者は強制加入の問題はご存知のはず。ほとんど話題にならないPTAの記事を掲載するという条件下で今回の掲載になじむかどうか検討された上で、見送ったのではないか。

「やめたいのに抜け出せない」と親たちの悲鳴が噴出 今どきのPTAはなぜかくも厄介で憂鬱になったのか?

2014/05/04

change.orgでの活動: 「PTAは任意であることの徹底周知とPTAへの入会同意書の義務付け」

PTAは任意であることの徹底周知とPTAへの入会同意書の義務付け
のための署名をchange.orgで呼びかけている方がいらっしゃった。

最近は「やらなきゃいけないなら楽しくやりましょう」みたいな開き直ったポジティブさんが増えているのを先日のNHKのエデュカチオを見ていても感じる。しかし、その活動はそもそも強制されてやるものじゃないよね?

前提が「やらなきゃいけないなら」というところにあると、結局、もやもやした強制感を隠し持ったまま参加することになる。一方で「会長をやるのが好き」という人もいるだろう。そういう人は能力を十二分に発揮してもらえばいい。

NHKの番組では、PTA役員をやることで学校にも頻繁に行くことになり、学校の様子がよくわかるし他の子の様子もわかってよかった、という保護者のコメントが取り上げられていた。この点には非常に違和感を感じる。

学校は頻繁に学校に行けない保護者に対して、学校のことをしらせる手段を持つべきではないのか。PTA役員になって頻繁に学校に行かなければなかなか学校のことが分からない、ということは学校の解決すべき課題だろう。よくあるパターンで言えば、2割(そんなにいないかも)の熱心な人、6割のまあまあの人、2割のがっこう嫌いの人、という3パターンの真ん中の6割に情報を積極的に届ける手段を持つべきなんじゃないかな。

「学校のことなんて知りたくない」と拒絶している保護者はとりあえずほっておいていいと思う。

2014/04/11

川端裕人×木村草太 「入会なんて聞いてない ―― 父親たちの語るPTA」 掲載

有料メルマガのα SYNODOS で以前に連載されたPTA問題の対談がSYNODOSのウェブサイトで公開されている。 有償の購読者には「あれれ?」という感じがあるかもしれないが、新PTA会員(もちろん強制加入)の人たちはぜひ読むべき。また、「好意」でやっているPTA本部の人もこういう議論があることは知っておくべきであるとおもう。その上で自分たちの行為を正当化していればいいだろう。

とにかく、ありがとう SYNODOSの中の人。

入学式と役員決めなどなどがあるこの時期にタイムリーな話題。

入会なんて聞いてない ―― 父親たちの語るPTA 前編

大きな慣性に逆らって――父親たちの語るPTA 後編

木村 強制加入はどう考えても違法だと私はおもっています。シノドスでのインタビューでも述べていますが、常識的に考えてもおかしいです。
木村さんはシノドスのインタビューでも「違法PTA」の話を法学の研究テーマの一つとして語っている。

わたしたちの自由はどうやって守られているのだろう ―― 繊細な憲法を壊さないために 憲法学者・木村草太氏インタビュー
好きでPTAに入会されたのであればとくに問題はないですが、入退会が自由でないPTAや、強制加入させた会員に仕事を押し付けるPTAは、「違法PTA」なんですね。 みなさんあまりご存じないですが、PTAってどうやって会員名簿を作っていると思いますか? 団体は、まず名簿がないとつくれません。名簿をつくるためには、入会申請書をつくって、手続きに従って申し込みをしてもらう。その方を会員として名簿に記録する。それは会社でも、町内会でも、どんな団体でも変わらないことです。

しかしPTAのなかには、入会申請書を作ってもいないし、届けてもいないのに保護者を会員登録してしまうPTAがある。なぜこんなことができるかというと、学校から流してもらった名簿を使って会員名簿を作るからです。法的には、そもそも、この時点でアウトで、違法PTAになります。なぜなら、これは学校による「同意のない個人情報の第三者提供」を前提とした運営だからです。

あるいはクラスの誰かが名簿をPTAに渡してしまう場合もある。これだってやっぱりアウト。この場合は、渡してしまった人が、個人情報の第三者提供をしていることになりますね。つまり入会申請書を集めてもいないのに会員名簿があるPTAは、そもそも違法PTAなんですね。

PTA本部にいたときは、名簿は会員(強制加入した保護者)には配布していなかったけれども、学校から提供された情報を元に本部がもっていた。もっていなければ各地域ごとの役員決めなどもできない。

自分が大きな問題だと思っていたのは、大変な状況(たとえば単親家庭で夜の仕事)なのに「どうしてもやらなければいけないなら、やります」と引き受けて忙しい思いをする家庭を出してしまっていたこと。この場合、「同調圧力」による押し付けに近かった。それに、退会規定も当然ながら存在していなかった。

川端さんの「入り口・出口の両方と、困った時に歯止めになってれるセーフティネットもちゃんと整備しとかなきゃとおもいますよ。」という問題提起に対して、

そこは私も注意をしていて、入退会自由なのは当然の原則であり、また、入らない人をいじめたりした場合は、不法行為になって損害賠償ものですよ、と必ずセットで言うことを意識しています。
なかなかしぶとい強制加入PTAだが、日本社会がより開かれたコミュニティを持つためにもPTAに出たり入ったりが普通にできる世の中になってほしい。強制加入反対を唱える人がコミュニティが不要と考えているかというとまったく違うのだ。強制加入を主張することがかえって学校コミュニティを壊している可能性すらあるのではないだろうか。

2013/07/26

ダイヤモンド・オンライン「PTA全国協議会が例のあの調査を打ち切り 「子どもに見せたくないテレビ番組」アンケート 」

降旗 学 氏による記事。
http://diamond.jp/articles/-/39327

調査を打ち切りにした理由はというと、毎年こればかりがメディアに報じられ、他の調査結果を取り上げてもらえないから――、だそうだ。PTA協議会なのに子どもじみたことを言っているような気がするのは気のせいだろうか。
とのこと。

自分のPTA会員期間12年の間には、このアンケートに回答することができなかった。知っている範囲で回答したという話を聞いたことがないのは、回答したことを秘密にしているのか、どこか他の常連校があったのだろうか。

このアンケートの実行経費は、各PTAからの上納金の一部が使われていたわけだから、その分、被災地支援にまわすなど、よりましな使い方を考えていただきたいものだ。(こういう意見をP連に言う場は一般会員にはないのだ。)

一世帯あたり10円程度の上納金を全国の小中学校PTAから集金しているのだから、それに見合った説明はしていただきたいものだ。

2013/05/04

憲法からみるPTA 強制加入は「結社しない自由」侵す (朝日新聞 2013/4/23)

憲法学者で首都大学東京准教授の木村草太さんが朝日新聞に書かれた投稿記事。今は一部分だけが朝日新聞デジタルでも読める。

http://www.asahi.com/edu/articles/TKY201304230010.html?ref=reca

憲法21条は「結社の自由」を保障する。この自由には、自由に団体を作って良いという「結社する自由」と同時に、自分の望まない団体には入らなくて良いという「結社しない自由」があることを忘れてはならない。つまり、PTAなどの団体は、その趣旨に賛同する人が自由に結成するものであり(結社する自由)、望まない人に加入を強制してはならない(結社しない自由)、というのが憲法上の大原則になる。

「PTAや保護者会といった団体の在り方について法律家がきちんと説明する努力を怠ってきたからではないか」という視点の議論は自分の身の回りで見聞きした限りでは、今までは存在しなかった。

J-WAVEの駒崎さんの回の放送のゲストで木村さんが出演されたときに、木村さんが「しない自由」があることを知っているとずいぶん楽になるということはあるのでは、とおっしゃっていた。

以前、かかわっていた地元(神奈川県海老名市)の中学校のPTAでは、地域ごとに3年生の家庭の中から委員を選ぶことになっていた。その会合に本部として出席したとき、「平日に休むとクビになるので、指名委員ならできるかも」とおっしゃっていた保護者(母子家庭だったと記憶している)がいた。そういう方にも強制的にPTA活動を割り振らねばならない状況を解消するときの理論的な根拠として「結社しない自由」は利用できる。入らない自由も憲法で保障されていますから、できるときに参加していただければいいですよ、と。そういう風に言えたら本部としてもどんなにか楽なことか。

日本国憲法は字面はわかっていても、最近にぎやかな96条問題も含め、憲法が意味するところを考えたことがなかった。「憲法改正に賛成ですか?」のアンケートに「賛成」と答える一般人はほとんど自分と同じようなレベルだとしたら。。。

現実を考えると憲法違反だろうとおかまいなく強制加入なPTAは維持されるだろう。「自由加入にしたら活動が成り立たない」という不安が現役の本部や学校には根強くある。大部分の強制的な(自動的に加入してしまう)PTAが「憲法に違反している」こと、その状態は改善しなければならないことを市・県の職員たちやPTA活動に熱心な本部の人たちに理解してもらうだけでもかなりの労力がいりそうだ。

2012/09/04

[PTA] 和歌山 PTA会費を学校の経費に

消えてしまうと思うので、ここに引用しておく。
和歌山県の県立高校で保護者から集めたPTA会費の一部が校舎の修繕などの学校の経費に充てられ、平成22年度にはこうしたPTA会費からの支出が45の県立学校すべてで確認され、総額が3億円余りに上ったことが県教育委員会の調査で分かりました。

和歌山県教育委員会によりますと、平成22年度の県内全体のPTA会費の支出およそ7億3600万円のうち、3億円余りが校舎の修繕や備品の購入など学校の管理費に使われ、こうした支出は県立高校や特別支援学校など45の県立学校のすべてで確認されました。この年度には、県立学校の管理費のうちおよそ11%がPTA会費で賄われていたことになります。これを受けて県教育委員会は対応を改め、今後、基本的には学校の管理運営や教育活動に必要な経費に、PTA会費など保護者から徴収する資金を充てないことを盛り込んだ指針を作りました。
和歌山県教育委員会は、「県が支出するべきものは県が支出し、保護者の負担の軽減と効率的な学校運営を行う」としています。 (NHK 「和歌山 PTA会費を学校の経費に」 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120830/k10014655101000.html)

3億円という金額が単年度に流用されていたとのこと。PTAの承認を受けて使ったもので問題なし、との見解を当初発表した、という記憶がある。以下読売新聞から。


和歌山県の県立高校で、PTA会費などの保護者徴収金が、本来は公費を充てるべき教員の出張費や校舎修繕費などに支出されていた問題で、同県教委が実施していた調査結果が発表された30日、記者会見した西下博通教育長らは、「保護者の意向を受けてやってきた」などとして、過去の支出が不適正だったかどうかは明言は避けた。


 
県立高校卒業生としては、PTAに関心のない保護者は、ぱぱっと委任状を書いているだけで、その意向があったわけではない、というのは容易に想像がつく、というかうちの親がそうだった。学校がかなり遠いのでPTAの総会だけのために学校に行くということはなかった。
この「不適正」かどうかの基準がよくわからない。たとえば、PTAで予算が承認されているのであれば合意のもとに行われたので適正だったと言えるのだろうか。
 
この日の記者会見で、県教委側は「学校の管理運営・教育活動に必要な経費については、設置者である県が負担することが原則」と基本的なスタンスを示した。その一方、2010年度に保護者徴収金から約3億円が学校運営などに支出されたことについて、西下教育長は「これまでの慣行。保護者の意向を受けてやってきたつもり」と弁解。他の県教委幹部も「(生徒のために使われており)特に問題はなかった」などと繰り返した。
 
しかし、出張費などに使われていたということだと、公務員の経費にPTA会費を流用しちゃったということになるわけだから、、、

今の住まいがある神奈川県でも高校のエアコンをPTA費用で付けるというのはどこでもあること。
で、このエアコンを保護者のお金で付けているにもかかわらずPTAの会議のときには使わせない、などという、ルールにきびしいんだかゆるいんだかわからない規則を持っている学校もあると知人に聞いたことがある。

中学校の本部に参加していたときには、図書室の書籍代を寄付していたことがあったし、「おらが町の学校を支える」的なノリの不適切な支出はどこでもあるのではないだろうか。

これは寄付として免税になったりしないのかな?

また、抜け穴になりそうなのが以下

新たな基準では、部活動の充実や地域交流など、特色ある事業に限って、PTAなどから自発的な提案があれば、支援を受けられるとした。クラブ活動や進学など各校が特色ある教育方針を打ち出せる余地を残したが、具体的な内容はまだ不明な点が多い。

PTAからの自発的な提案というところが本部を経験した自分としてはイヤな感じ。校長や教頭などとPTA本部役員数名で、「どうでしょう、こんな感じで」と決まってしまいそうな気がする。

 
一方、文部科学省財務課の担当者は「会費から支援を受けられる経費について、具体的な例を示したことは使途の透明化を図る上で評価できる」と話した。


会費から支援を受ける経費、ってやっぱりあるのか。PTAは自由参加の団体なのだから、その方針に反対ならば加入するべきではない、という考えが文科省の担当者にはあるのだろうか。
 

2012/07/07

日常レベルでの海外理解

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1207050026/
相模川で高校生流され不明/厚木

流された高校生が外国籍だったからなのか、高校生の母親が一緒にいた高校生にどうして助けてくれなかったのかと問うたというような噂話も地元では流れていたりする。これが本当かどうかも不明。「外国の人は(日本人と違って)そういうことを言いそうだ」と感じている人が多いからうわさが広まるのだろう。こういうときには、何事もなく暮らしている時は感じない国の文化の違いが浮かびあがってくるものなのか。当事者が高校生だったこともあって、高校生レベルでもこういったうわさは広がっているそうだ。

今は日常的にクラスに外国籍の生徒がいる学校が多い。しかし、片方の親が日本人で子供が日本生まれ・育ちの子供とそうではない子供ではかなり状況が異なる気がする。
今回の場合は、綾瀬高校に在学していたカンボジア国籍の生徒とのことなので、日本人とかかわる生活がそれなりにできていたのではないかと想像する。が、それでも、こういった異常な状況ではいろんな情報が広まる。

相模川流域の小学校では、おそらく全員が「川は急に深くなり流れが急だから、入らないように」と言われて育っているはず。そういう環境で育っているとそもそもかなり危険なことをしている(ただし自分は大丈夫)と思っているから、友達を助けられないことがあるかも、という意識は持っているのではないだろうか。とくに今回は雨上がりの増水した川でいつもと違う場所で遊んでいたそうだから、もともと危険な状況だった。

小泉政権以降、「自己責任」でいろいろあきらめてきた日本人は、こういう状況では「自己責任だから」と言いたいことを飲み込んでしまう人も多い?その子供の家族が所属するカンボジア・コミュニティでは実際はどうなのだろう。

こういうことも「異文化」だから、いろいろな考え方がある、というレベルで納得してしまっていいのか。
地域の小学校では「国際理解」というテーマで外国籍の保護者やALTの教師を招いて活動をしたりするところもあるらしい。1年に1度だけで日常での交流で「わかりあう」ってことはないだろう。
東北大地震では異文化で育った人たちの被災ということも話題の一つだった。そういう大きな異常事態では噂話よりも大きな衝突が起こりそうな気もする。
PTAの本部で活動していたときはプリントに漢字を使いすぎないようにするなどの気遣いも必要だったりした。しかし、それだけで情報を活用することはできていたのだろうかなあ。

2012/06/18

[朝日新聞] [Web新書] PTAは子どもの役に立っているのか 「苦労のバトン、渡さないで」

朝日新聞web新書 PTAは子どもの役に立っているのか 「苦労のバトン、渡さないで」
http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2012052800003.html

朝日新聞の2012年1月から5月に連載されたPTAに関する記事がweb新書になっていた。
この時期、新聞を読売に変えていたために記事のことはおそらくPTA関連のblogかtwitterで知ったのだと思う。図書館まで行く気分にならず放置していたところ、asahi.comでweb新書に出ていたのを見つけた。

新聞には毎月3500円ぐらいを払っていても高いと思わないのに、記事を210円で読むとなるとなんとなく高い気がしてしまう。無料で見れないかと朝日新聞のサイトで最初の何ページかを見たところ、「7人の敵がいる」の加納朋子さんのインタビューが載っていて面白かったので購読を決めた。

数か月の連載なので読んでいる読者からの反応が寄せられ、それを記事に取り入れてまた取材している。これを見ると、田舎ではPTAを抜けると実家に文句が来るようなところも相変わらずあるらしい。海老名市でも場所によっては、次の役員は誰々と雰囲気で決まる地区もある、という。そういうところで任意加入を言い出すと「いらんことを言うな」という雰囲気になるところもある、と記事にあるようなことになりそう。

気になることは、生徒数減少にもかかわらず行事規模は同じであるため、会費が上がっているPTAが多いということ。生徒が少ないならば行事にかかる費用は減らさなければならない。もちろん、前例踏襲では減らせないのだから努力が必要だろう。それを会費増で賄うというのではPTA活動が不要とみなされてもしょうがない。

この会費増は日P(にっぴー)も同じことをやっている。全国組織としての無駄を省くことは必要だ。本当のところ、上位組織などなくても単Pが困ることはほとんどない。

任意加入を周知すると誰も入らないとの懸念が多いことは記事の取材や反響でも確認できる。しかし、記事の中では周知したからPTAがなくなったところはない(もちろん、全部のPTAを取材してはいないから可能性はある)から、PTAというボランティア組織は形を変えて活動するだろう、と思う。

また、この視点が抜けていたな、と自分が思ったのは、保護者は任意でも教員は強制参加になりがち、ということ。自分の経験だと、教員によっては保護者に任せきりの委員会もあった。一方で、細かいフォローをお願いできたこともあったから、教員の参加度合は同じ学校でもかなり異なる。教員をこれ以上多忙にしないためにも明確にボランティアとしたほうがいいのではないか。

記事中にあった2010年の横浜のイベントにはたまたま参加していた。任意参加の話が広がり始めるきっかけがあのイベントだった、というのは意外だ。かなり以前からの話題だと思っていた。

海老名のような田舎でも、家族の形はいろいろである。単親家庭だったり、単親+老人だったりすると、昔ながらのPTA活動に参加する余裕はないだろう。無理やり活動に引っ張り込むより、体育祭の見学にちらっと顔を出して子供の成長を確認できることが、その家庭には良いことだったりするかも知れない。

PTAのエライ人が「子どもが学校に通っている以上、親が何らかの形で学校に関わるのが当然」というときの「何らかの形」と、単親家庭+老人家庭の保護者ができる「何らか」の間には大きな開きがあるだろう。そういうときに「がんばってやりましょう」とやると、ボランティアじゃなくなって強制活動になる。

自分として最も納得しがたいというか不愉快だったのはPTAを第2の財布と期待している市町村(場合によっては県、ひいては国)の教育行政だ。言い方は下品かもしれないが、給料に見合う仕事をできていないと感じる。
PTAの任意化のときに引き合いに出されることの多い子供会の衰退については、身の回りで見る限りでは、保護者の負担が大きすぎてついていけないという理由の他に、5,6年の女子だと、やりたい活動がないからつまらない、というのもあった。PTAもこども会もニーズにあっていないところがあるのではないだろうか。

このweb新書は新聞記事なので短い章立てになっていて読みやすい。任意加入についての新しい取材情報が多く、今活動しているPTA会員の人達にも役に立つと思う。


2012/05/24

[PTA] 海老名市の問題その後

まるおの雑記帳に、海老名市教育委員会への連絡のその後が書かれていた。
海老名市単P会長会で入退会自由をめぐり発言

市のPTA会長会にて、そのPTA会長から
「PTAが任意加入の団体であることを改めて意識していかなくてはいけないと思っている」
との発言があったとのこと。

こういうことを会長会で発言したのは、この会長がおそらく初めてだろうと思う。一朝一夕に周りの理解が得られるとは思わないけれど、これが大きな一歩になってくれるといいと思う。

地域の公立の小中学校PTAにはもう関係なくなってみて思うことは、PTAって毎年出たり入ったりできたらよかったのに、ということ。毎月の常任委員会に子供を連れてきて待たせている女性保護者がいたけれど、そういう状況ではPTAに参加することで子供にも保護者にも負担が大きいはず。

「今年は忙しいから通年の活動は無理かな。スポットでお手伝いなら。」
とか
「今年は家庭教育学級で介護の話を聞きたい。」
とか。自分でやりたい人が集まってやったほうが話の進み具合も早いし、楽しいと思う。

公立の小中学校は、校区の中の人間関係から退出することはできないので、PTAの活動でうまくいかないことがあると、日々の暮らしもつらくなると思う。それに、子供が学校に在籍しているから、学校に対しても遠慮してしまうだろうし。

自分がPTA本部スタッフをしていたころ、何かの講演の後で、会長に「こういう話を伝えたい人が来てくれないですね。」といったことがあった。いろんなボランティア活動をしていたその会長は、そういう人は来る余裕もないからPTAが何かできるというのは難しいのだ、と説明してくれた。全員をPTA会員にした上で、すべての会員に何かしなければならない、あるいは、何かできるはず、というのが過信というか大きな勘違い。

全ての保護者を包摂する役割はボランティアの集まりであるPTAだけではなく、学校やご近所や自治体行政などが重なり合って担っていくものなのかもしれない。

2012/05/17

[PTA] [海老名市] 神奈川県海老名市 PTAをめぐる問題

blog管理者ページで「海老名市 PTA」の検索が妙に多いので、試しに検索してみると、「まるおの雑記帳」でちょっとした話題になっていた。市の教育委員会に連絡されたとのこと。

http://ameblo.jp/maruo-jp/entry-11235198673.html

以下の日記のコメント8以降が海老名市のある保護者からのコメントとまるおさんのやりとり。

http://ameblo.jp/maruo-jp/entry-11228570339.html

海老名市は(自分が本部に参加していた数年前から)任意加入の周知は消極的なPTAがほぼ全部だと思うのでそれ自体は意外じゃない。

ここで気になったのがこれ:
・少子化、共働き、介護、未就園児の育児等で役員のなり手がない。
→『今年度より1家族1度から子供の人数分役員をやることとなりました。この決定についての会員の意見は受け付けません』と前置きして役員を決める。
どういうことかというと、「みんな大変だからみんなでやりましょう。」って感じにしたってことなのだ。で、「みんなやってるんだから、あなたもやってください。」と余計に弱者を追い詰める結果になる、という悪循環。

PTAで何が困るかというと、たとえそれがやりたい活動だったとしても
  • 行事スケジュールの自由がきかない(ほかのときなら出られるのに…)
  • 何か言うと子供に跳ね返るのがイヤなので何も言えない、という圧迫感
会長を引き受けたりする人は、やるのがうれしいという「PTAハイ」な人が多いので、下々の委員会の重たい雰囲気が理解してもらえないことが多い。

2012/05/10

加納 朋子 「七人の敵がいる 」

面白いPTA小説という噂を聞いて気になっていた本がドラマ化を機会に文庫化されたので購入。 PTAの活動に本部や委員会、平日のイベントなどにちょろちょろ参加した自分の少ない経験からみても、現実に起こっているであろうエピソードがいっぱいで面白い、というか、ここまでわかっている小説家がいるとは、と感心した。

主人公の陽子は、フルタイムの会社員をしながら、PTA、自治会、スポーツ少年団、子供会での課題・問題を仕事のようにざくざく片づけていく。ここまでできたら気持ちがいいだろうなあ。実際にはここまで有能な人はほとんどいない。そういう点ではエンタテインメントである。

しかし、やや誇張された小説だからこそ、現状の問題点がよく描かれている部分がある。たとえば、PTAへの参加は任意であるのにそのことを説明せぬままに強制的入会を行っている現状や、男性保護者のPTAや学校への参加意識が非常に低い点、介護や育児が女性保護者に押し付けられ、それを社会全体として肯定していることなど、社会全体が目をつぶって現状維持で済ましていることを登場人物の口から明確に指摘させている。

たとえば、4人の親(夫の両親、自分の両親)の介護をすることで自分の時間のほとんどを使っている岬さんという女性が自治会関係者として登場する。彼女の義理の父親が死んだとき、陽子が香典を持って訪れる。

だが、岬さんは向き直った陽子に少し顔を近づけて、さらに言った。
「あのね、義父が亡くなった時に、思わず言ってしまったの。『ああ、これでやっと一人減った』って」
これは夫の助力がほとんどなく一人で4人を介護する、という極限的な状況に置かれた専業主婦という設定の女性である。実社会においても同様に介護で追い詰められている女性は多いだろう。

親の介護で離婚騒動にまで及んだ上司が感謝の気持ちをことあるごとに伝えていればあそこまでいかなかったろう、と陽子が夫に話すと:

「いやー、でもさ、何でって思うよなー。だって男だって毎日外で一生懸命くたくたになるまで働いてさ、それに対して奥さんは毎日『ありがとう』なんて言ってないだろ?いや、感謝してないとかじゃなくてさ、そういうのは、いちいち言わなくても伝わるものなんじゃないの?家族なんだしさー」

との返事が返ってきて陽子は深いため息をつく。

PTAについては小説後半に山場がある。今のほとんどのPTAが抱える多くの問題をこの作者はうまく表現していた。PTAの問題を表現しているなあ、と自分が感心した以下のような一節があった。

選挙権を行使しない人間に、政治について文句を言う資格がないように、出席しなかった会議で何が決定しようと、欠席者に文句を言う資格はない。それが道理である。あの会長なら鼻で笑って沿いう言うだろうし、それは間違ってはいない。正論そのものである。

だが正論というものには柔軟性がない。正論はきっちりとして正方形である。そして正論は白黒の市松模様をしている。それを、形が定まらず、何色ともつかない色をした「現実」に無理やり当てはめるのは、やはり無茶なのだ。

この本は男性保護者にはぜひ読んでもらいたいし、なによりもPTAマンセーな人には読んでもらいたい。現実のPTAはここまでドラマチックなすごい会長もいないし、問題教師も、陽子のような頼りになる会員もいない。でも、現実で抱えている問題点は同じだ。


2012/04/18

[読売新聞] 2012年4月6日  PTA会費、学校経費に流用

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20120406-OYT8T00848.htm


茨城、愛知、大阪、大分など少なくとも14府県の府県立学校約200校で過去5年間に、本来公費で賄うべき校舎修繕費や教員の手当などにPTA会費といった保護者徴収金を支出していたことが読売新聞社の調べでわかった。

今も支出が続くケースがあり、「学校設置者が学校経費を負担する」と定めた学校教育法などに違反する可能性がある。文部科学省は「学校は法の趣旨に沿い、公費と(PTA会計などの)私費を区別すべきだ」としている。

PTA会費などの「校舎修繕費」への流用は茨城、愛知、和歌山、岡山、大分の5県であった。茨城県では2009年度の包括外部監査で県立高2校で判明し、県教委は10年6月、適正な処理を県内各校に通知した。

「教員ら関係者への手当、研修・出張・交通費など」には群馬、滋賀、和歌山、岡山、徳島、香川、愛媛、大分、沖縄の9県で保護者徴収金が使われていた。沖縄県の5県立高では始業前補習の担当教員にPTA会費から手当が支給されていた。
2012年4月6日 読売新聞)
これが法律に違反しているとは知らなかった。教員たちは知っていたのだろうか。 少額ではあるが自分も覚えがある。
神奈川県だと、高等学校が「PTAの費用でエアコン工事をしていただきました」と言っていることが多い。以前に学校見学に行った大和西高校や、地元の海老名高校でも同様な話を聞いたことがある。学校側の話では、「県が予算をあまり割り当てないので工事の順番が回ってこない。そのため、子供たちのためにとPTA費用で工事をしている。」という趣旨だったと記憶している。あのエアコン工事は良いのだろうか?

自分もPTAとして学校設備の修繕に費用を出したことがある。PTAの本部役員をしていた10年以上前に、東柏ヶ谷小学校の体育館のカーテンが破れた際に、市の予算が今からでは確保できないからPTAの予備費から負担をお願いできないかと校長(教頭だったかも?)から依頼されて購入した。

これは、日本で広く行われているらしく、インターネット検索で「PTA費用 エアコン」などと検索するとかなりの数のPTA文書がヒットする。これがすべて本物だとは限らないとしても、かなりの数の学校でPTAが「子供のために」と言われてエアコン工事費用や修繕を負担している図式はあるのではないだろうか。検索結果を見ると、「子供にエアコンは必要なのか」と批判している文書も見つかる。そういうPTA会員も当然いるだろう。

元をたどると、PTAが全保護者から費用を徴収してしまう仕組みに問題があるともいえる。イベントなどで都度集金するならば、こういった流用は発生しにくいはずだ。逆に、明示的に「寄付」として行う方法を取る可能性もあるかもしれない。

2012/02/14

AERA 2010年11月1日号 「PTAは本当に変われないのか」を読んだ

自分自身は「あなたの責任でなんとかして」と言われて夜の9時に出張先から電話をかけまくったり、「子供を預けてホステスのようにお酌をしたり」したことはなかった。
ま、男性だから当然か。
地元の公立小中学校では女性が「ホステスのように」お酌することはなかった、というか、いまどき、そんなことを強要してもいい地域があるというのにちょっと驚いた。

とはいっても、本部で副会長をしていた経験から言うと、レベルの差はあっても「参加へのプレッシャー」はあるし、入会退会が自由というのは否定される雰囲気はあったし今でもある。
PTAのようなしっかり枠組みのある組織が大好きな人も世の中にはいるので、ボランティアでいいじゃない、というと、それは大胆すぎるから無茶だ、と言われたことが多かった。

AERAでは、ある小学校PTAは、たとえば、働いている人が多いから会合は夜か土曜日と書かれている。これはうらやましい。市P連、県P、教育委員会からの「お願い」などには対応していないんだろうか?P連に入っていないのならこの状態はあり得る。

古いところはたいていP連から抜けられずにいるから、教育委員会などから降ってくるスケジュールがある。だから、週末がつぶれたり、平日昼間の2時間だけの会合に出席させられたりするのだ。

「うまくいっているからPTAはいい」んじゃなくて、PTAが不要だ、という状況を作ることが重要だと思う。このPTAがうまくいっているというのは、不用品の再活用みたいな話に見えた。
最後に、秋津の岸さんが出てきてPTAにルールがあるとしたら「優しさに包まれ、自由に笑顔で入退会できること」とおっしゃっている。

いや、ほんとに、これがルールだったら逆にみんな参加したくなっちゃうかもね、と思ったよ。

自分は今は会員ではないので過去(2009年度までの)の話。地元の海老名市立柏ヶ谷中学校では、卒業生保護者や地域の方も一部でかかわる「花いっぱい」という活動がある。校庭に花を育てる作業(種まきから植え替え、水やりなどなど)をする。作業そのものは継続的だが(水がないと枯れちゃうし、種まきなどは植え替えのかなり前から行う必要があるし)参加者は、都合によって参加する。とはいっても中心になってスケジュールをたてたりする人は必要なので、受け皿というか活動を維持するための仕組みはボランティアなりに大変ではある。

この活動はPTAの予算を使っていろいろ購入する形で運営していた。
仮にこういう活動をボランティアに転換して、校庭に花があったらうれしいからお金はちょっと出してもいいよ、っていう人たちからサポートしてもらうように変えると言ったら今の参加者は賛成するのかな?リスクが大きいと感じるだろうか?

考えてみると今のPTAの活動はある程度のお金が集まることを想定しているものが多くなっている。
なんだか、国の予算がある程度大きいとそこに群れる人が集まる、みたいな構図にちょっと似ている。違いは、ほとんどの人は子供の卒業とともに抜けたら戻ってこない、ということか。

2011/08/29

[PTA] PTAが変われない理由

田中理恵子 「平成幸福論ノート 変容する社会と「安定志向の罠」 」の中で、ある社会が崩壊するときの原因が語られていた。これが、今のPTAに必要な改革ができないことをうまく説明しているのではないか、と思う。

上記の本の中で引用されているジャレド・ダイアモンドの話が興味深い。

彼によれば、社会が破滅的な方向へと向かう場合、1 問題の予期に失敗する、2 予見できた後でも実際に起きた問題の感知に失敗する、 3 問題を感知した後でも解決に失敗する、の大きく三つのパターンがある。

3の場合がPTAに当てはまっているのではないかと思う。このパターンでは、

人類史を振り返れば、支配集団が、ほかの大多数の人々の利害を軽んじて、「合理的な非道徳的行為」を繰り返すことによって、多くの文明が滅んできた。(略)
この場合、損失は党の支配層ではなく、それに従う大多数の人々に広く浅く降りかかる。だが負担する「多数派」一人当たりの損失が小さいため、彼らは損失に気づかないか、気づいたにしても積極的に反対行動を起こそうとは思わない。なぜなら仮に彼らが反対したにしても、得るものは少ないからである。(略)

すぐに思い当たるように、日本の過剰な公共事業投資や、現在争点となっている農業保護などもこれに酷似しているといえる。「大多数の人々の出費で少数の人々に利益を与える方策は、とりわけ小さな集団に“決定的な権力“を授ける特定の種類の民主主義で生まれやすい」とダイアモンドは指摘している。
PTAにおいても同様だ。日Pが「子供に見せたくないTV」など様々なトンデモ政治的なアンケート結果を公表するのがばかばかしいお金の無駄遣いだと一会員が思ったとしても、黙っているのが「合理的な」判断だ。自分が正しいとしても(もちろん正しいのだが)単位PTAから市P連、県P、と意見を通す労力が膨大なのは明白であり、いろんな人にイヤな顔をされながら説明するなんていう暇はないのだ。

単位PTAから始まり、市P連、県P、ブロック、日Pに至る見事なピラミッド構造は、各単位PTA会員ごとの10円(もしかすると値上げしたかも)程度の上納金で運営されている。日Pのやることなすことがばかばかしいと思っても、10円程度をドブに捨てていいやと考えることができれば、黙っていたほうがずっと安上がりなわけである。

PTA強制加入がなかなか改まらないのも同じような理由で、「何年か数千円(単位PTAの会費)をドブに捨てると思って我慢したほうがいいや。」という選択をしてしまう人が圧倒的な多数だろう。自由加入のPTAにするための労力が報われることは絶対にない。会費を払わないという消極的抵抗はありうるが、引き落としをする学校だと雑費と一緒に学校に引き落とされるためお手上げなのだ。

田中理恵子によれば、日本は「積極的選択が高くつく社会」である。「痛みを伴う改革」(小泉的なスローガンではなく真の意味で現状制度をなくして変更する)を選択するよりは、そんなに大変だったらそもそもそっちに行かなきゃいいでしょ、と結婚や恋愛市場から撤退したり、さっさと海外に移住したり、PTAを無難にやりすごしたりする、という消極的選択を行うのが合理的だ。その結果が今の社会の問題となっている。

日Pは子供が少なくなったので会費を値上げしたわけだが、そのときに市P連などではさしたる議論もなしに承諾したと聞く。この場合、少数の特権集団は日P本部のエライ人たちであり、彼らは現状を維持したまま会費を徐々に値上げして自分の代は無事に過ごそうと無意識に行動している。

PTAを中心に地域社会を活性化する、なんていう理想論を言う人もたまにいるのだが、これも、改革と同じ理由でうまくいかない。

結局、強制加入PTAの尊厳死を見守るしかないのだろうな、と思う。

2010/09/03

PTAの入退会自由に関する要望書

PTAの任意参加について言及した文書が文部科学省から出たのが4月ごろだった。

この文書は、しかし、都道府県の教育委員会レベルへの通達だったため、担当者によっては「混乱を避けるため」「すでに推薦の進んだ優良PTAの変更が難しい」などの理由で市町村へは流さなかった、とのことである。神奈川県では担当者が止めたらしい、という情報もあった。その後はどうなったのかは知らない。

中学校PTAを離れて数カ月、その間、PTA活動に全く関わっていないので、第三者として見るとPTAというのは特殊な活動だったのだなあ、と感じるところが多い。

個々の保護者にとってみれば、生徒として通学している子供に対する学校の対応に良くない影響がある可能性が少しでもあれば、それは避けたい、ということが動機づけの一つにはあるだろう。
この背景としてはPTA活動は実質的には保護者(P)の活動が主となっていて、忙しい教師(T)のうち、会議などに参加するのは役に付いている教員と校長・教頭などだ。当然、作業の多くは保護者によって支えられる構図になる。大多数の教員にとってみれば、そこは職場であり、やることは仕事なのだから、ボランティアってのはちょっとヘンとも言える。

「保護者による活動」==「PTA」という構造が固定化してしまっているので、PTA主催ではない保護者の活動というのは、なかなか立ち上がりにくい。
これが、さまざまなボランティア活動をするのが難しい、ということにつながると思う。立ち上げのパワーはかなり必要だ。「おやじの会」の類はPTAと独立して運営されることもあるが、同じ市内では校長の強い要望でオヤジの会が発足、という、何をやってるんだかよくわからないものがあった。

PTAの入退会自由を学校関連ということをはっきりさせてほしい、という要望を上げようという署名が以下の署名サイトで展開されている。匿名と名前公表を選択できる。自分は匿名で署名したチキンだ。(苦笑)

PTAの入退会自由に関する要望書

この活動は素晴らしいPTAと修羅場らしいPTAというウェブサイトを運営しているThink!PTA!という集まりが企画したもの。

こういう活動の話をすると、本部役員がよく言う話は「子どものためになる活動だし、保護者も成長するから。」みたいな奉仕の側面を強調する話。
子ども会のような活動を支えるべきではないのか?とか、学校に来れない子どもは無視する形になってもいいのか、なんていう問題点はなんとなく曖昧にされてしまう。

自分の参加していたPTAでは、各年度の委員をくじ引きをしてでも決めてしまうという「強制指名」の仕組みを持っていて、できない理由は対象となる保護者(新3年生の保護者)が集まった前で説明してください、って言われていた。実際は出席しない保護者も少しはいるが、大抵は説明するか、説明したくないからくじ引きをするか、引き受けるか、のどれか。

PTAを離れて考えると、他ではやらないような異常なやり方だったなあ、と思わなくもないが、その中にいると、「しょうがない」感があった。たぶん、任意参加だとわかっていたら「うちは活動は無理なので今年はパス」って言いたい人は結構いたと思う。

こういう形だったから、やることは基本的には前年度を踏襲していた。だから、ボランティアというより「お仕事」的な感覚でやっていた。

本当にやりたい人だけが集まった小規模な活動にしたら、もっと変化できるんだろうに、もったいないっていう気もする。

デル株式会社

2010/06/10

[PTA] 上位団体の当事者意識

川端裕人さんのblogで都小Pという団体についての言及があった。

PTAの連合体が保護者を代表しない理由(過剰なヒエラルキーについての補足と、本日、言えなかった こと

都小Pは、かなり不思議な成り立ちのようだが、一応階層が組み上がっている場合でもちゃんと見ると正当性はややあやしげ。
たとえば、海老名市の場合、たいていの公立校でPTA本部スタッフがそろうのは4月末ごろ。
これは新入生保護者がPTA会員になってから総会をするためだと思う。

その前には「会長予定者」の会議などという微妙なものもあったりするのだが、これは多分にお役所都合の会合。

単位PTAの会長が決まると市P連の会長が決まる。この市P連の会長など「三役」は県Pの理事かなにかに自動的になる仕組み。
これを階層の下端から順番に

単P会長(4月末)→市P連会長→県Pの理事→県Pの会長→…

と決めて行くとなると、5月以降にならないと県Pの役員は決まらない。日Pなどは夏休みごろにならないと決まらないかも。
しかし、実際には4月から県Pは新体制が稼働しているらしい。
というわけで、県Pの会長はその年度の単Pの会長とは限らない。幹事はPTA役員とは別の組織の人が就任していることもある。以前にPTA本部スタッフを一緒にやっていた方は、PTAではなく他のボランティア活動の組織から県Pの幹事になっていた。

分離していることで現場感を失うのと対照的に単Pの会長が兼務する市P連の活動が単Pの役に立つかと言うとそうでもない。
海老名市の市P連の会長校は当番制でたまたま中学校区の一校が「当たり」の年だったことがある。その学校では、会長が忙しくなってしまうため手が足りないことを予想して、単Pの運営をするためのスタッフを増員するなどの対応が必要になった。PTA会長は、単Pは誰かに手伝ってもらって市P連・県P側の業務に時間を使う、という本末転倒な事態。
これに加えて本来の自分の仕事をしながらというのは不景気が15年も続くという日本の経済状況では会社員なら会社に居づらくなりそうだ。というか、勤務を抜けることが多いというのは職種によっては致命的になるかもしれない。極端な例だが、データセンターの担当者が一人抜けたらサーバートラブルに対応できなくなったりすることもあり得る。


日Pにしてもそれ自体の活動に時間を捧げる事情は似たようなものだろう。日Pの場合、役所との会合などは東京で平日昼間に行われることが多いため、自宅というか地元にいなくてもよい人でないとできない、という事情がある。数年前の日Pの会長は、地元でやっている事業は自分がいなくても回るようになっている大きな会社の社長さんだ、と聞いた。

このような事情で、単Pの運営をしながらではできない活動なので県P、日Pレベルの施策が単Pの役に立たなくなるのも当然だ。たとえば、「見せたくないTV番組」のようなアンケートは報道には流れるが個々の単Pのニーズには合っていないのではないだろうか。

2010/06/09

[PTA] 市P連からの脱退を検討された会長のblog

教育学者がやってみた、PTA会長

本部スタッフを2年間やってみて市P連は県P、日Pの集金団体という以外の意味があまりなく、自校PTAの活動への利益が少ないというのが自分の結論。PTAへの父親参加で有名(?)な秋津小(地域コミュニティを学校での活動から立ち上げた)のPTAも市P連には入っていないらしい。

どなたかのblogからリンクされていた上記blogは大学で教鞭を取っている方が、PTA会長を引き受けてから退任するまでの記録をyahoo blog(更新はすでに停止されている模様)に掲載されているもの。
この方の任期の終わりごろに市P連からの脱退を検討され、一旦は会員への説明までされているのだが次の会長になってひっくり返された、というエピソードがある。

元々、P連の活動内容がPTAにとって意味がないのではという疑問を持っていたこの方が脱退を具体的に考えるきっかけになったのは、日Pの会費値上げを議論せずにOKしたということらしい。
以下、blogから面白いと感じたところを引用すると:

12月11日(金)の夜、区P連の理事会が開催されました。今回は理事会の後に懇親会(という名の飲み会)が設定されていたこともあり、出席者の皆さんは 心なしかソワソワしていたように思えました。実際、理事会は何の議論も起こらず、質問もなく、絵に描いたようにシャンシャンシャンで終わりました。

そんな中、私がひとつ疑問に思ったのは、平成23年度から日本PTA連絡協議会の会費が値上げになるという話でした。現行は一児童につき6円ですが、再 来年度からはこれが10円になるというのです。金額こそ大したことないものの、割合にすれば実に7割という大幅な値上げです。

牛丼でさえ、巷では値下げ競争をしているデフレの時代に、これは一体どうしたことなのでしょう。この話は当然、(理事会の前の)会長会の時に報告された はずなので、おそらく私が遅刻して聞き洩らしたのだと思います。理事会の時の説明では、子どもの数が全国的に減っているからというのがこの値上げの理由だ ということでした。
日Pの値上げはそのまま単位PTAでの会費値上げもしくは負担増(会費のうち、単Pで使えるお金が減る)になる。ここから、市P連脱退の検討をし、脱退したらどんなデメリットがあるのかを調査するところから始まり、最終的には脱退を決めることになる。このPTAの場合は区P連もある地域。

4、市P連幹部の話からわかったこと
質問1&2:市P連を脱退した際、停止されるサービスにはどのようなものがあるか。脱退後も引き続き受けられるサービスにはどのようなものがあるか。

回答:基本的に全てのサービスは停止。
私見:市P連からのPTA広報誌の表彰、市P連主催写生コンクールでの表彰(参加は可能)の2つがデメリットか。メリットは会費を払わなくてよくなるこ と、様々な会合へ出席しなくてもよくなること、浮いた時間やエネルギーを他の必要な活動に回せることなど。

<中略>

5、その他関係者への経緯説明
以上の経緯を、4月10日(土)、PTA副会長立会いのもと新PTA会長に説明。さらに同月17日(土)には、区P連(市P連の中の一組織)新旧会長会にて私から説明した。因みに区P連の公式見解は、「脱退云々に関しては、各単Pの意思を尊重する」という態度であり、本年2月17日(水)の区P連会長会で最初に話し合いをもった時点から一貫している。
と、ここまでは脱退をそれなりにスムーズに実行できるようにした準備をして次の会長に引き継いだ、と言うことになっているのだが、会長を新会長に引き継いだ後の総会では。。

さらに、来る27日の総会には、市P連脱退の是非を議題として取り上げないということになったと言うのです。あれ、それは約束が違うのでは? 確か、10 日に引継ぎをした時には、総会の議題とするので、私が出席して直接口頭で説明して欲しい、説明資料も作って欲しいと懇願されたのではなかったでしたっけ?

PTAではよくあることだが、会長が変わったところでいろいろと「お話」をされる方がいらっしゃって、継続的な施策が途切れる。ただし、自分がこの新会長の立場だったら、と考えるとちょっと気が重くなりそうだが。

2010/06/04

[PTA] 文部科学省社会教育課から「任意加入」明記文書が発行された

まるおの雑記帳より。

以前から強制加入PTAを優良だと推薦しているのはおかしいのではないか、と神奈川県とやりとりされていたまるおさんのblogにて、文部科学省から都道府県の教育委員会への文書通達が出たことを知った。

PTAが任意加入の団体であることを前提に」と明記している部分が従来からの変更点。
「できる限り多くの保護者と教師が主体的にPTA活動に参加できる」ような組織運営の工夫をどのように評価して順位づけするのか審査する側は大変だな、と思う。

自分が中学校のPTA本部スタッフだったころの海老名市では、市P連内で順番に推薦される学校が決まっていた。順番の年度に当たれば推薦されるので、自分で自分の属するPTAの推薦文を書く。たまたま2008年度が「当たり」の年度だったので会長から頼まれて推薦文を書いた。自薦がだめ、という規定はないようだ。この推薦文で県Pの大会で海老名市代表のような形で表彰されたはず。

海老名市で(2009年度)任意加入を明確に保護者に説明しているところはないと聞いているので(2010年には変わったかもしれない)、今年度はどうするのだろう。横並びで形式的に「任意加入」だが、「全員加入している」(笑)ことにしたりするのだろうか。

柏ヶ谷中学校は会則には任意条項があるので「任意加入」は明示していると言えるのだが、保護者は入学時点で会則を見る前に会員にされているので、運営上は「任意」になっているとは言えない。

ごく少数会費を支払わない保護者はいた(会計の会費収入から逆算してみた)ので、その保護者はもしかしたらPTA活動に賛同していなかったのかもしれないが、退会という形はとっていなかった。
この体制は本部にいながら変えられないままPTAをやめたので、保護者には申し訳なかった。

上記のまるおの雑記帳blogには文部科学省からの文書内容が掲載されていた。それよれば以下のとおりだそうだ。


***
事務連絡
平成22年4月26日(右寄せ)

各都道府県教育委員会 生涯学習・社会教育担当課 御中

文部科学省生涯学習政策局 社会教育課(右寄せ)

平成22年度優良PTA文部科学大臣表彰について(中寄せ)

優良PTA文部科学大臣表彰につきまして別添のとおりご連絡させていただきます。
今年度は、優良PTA文部科学大臣表彰要項に基づき(引用者注1)、各都道府県教育委員会から提出される調査表(別添1)の記載項目と記載例を一部変更しております(引用者注2)。これは、PTAが任意加入の団体であることを前提に、できる限り多くの保護者と教師が主体的にPTA活動に参加できるよう組織運営や活動内容の工夫をしている団体を適切に評価できるようにするものです。優良PTAの推薦にあたっては、変更点をご確認いただくと同時に、以下の点に注意して審査、推薦いただけますようお願いいたします。


記(中寄せ)

<審査・推薦に当たって>
1 都道府県教育委員会における優良PTA選考の際、PTA等の関係者や学識経験者を含めた選考委員会の設置、もしくはこれに代わる既存の組織等に諮るなどの措置を講じ、適切な選考過程を経ること。

2 また、国立大学附属学校PTAや私立学校PTAについても、活動状況を十分把握の上、適切に選考されるよう配慮すること。

3 選考に当たっては、幼稚園、高等学校、特別支援学校のPTA団体のうち、必ず1団体は含むこと。

以上(右寄せ)


<提出について>
提出期限:平成22年6月14日(月)
提出方法:(略)

「海老名市は自動加入なので推薦なし」ってのも面白いと思うが、さすがにそれは無理か。

追記:
神奈川県教育委員会の担当部署はこの文書の内容を各市へ送達しないことにしたとのことが、上記blogのエントリに上がっていた。各市町村で既に動き始めているので今年は知らせないらしい。来年になったら担当者も変わってうやむやになってしまわないかな?

2010/06/01

[PTA] 保護者から見た教員の生活

子供が中学校を卒業したので、公立小中学校に保護者として関わることがなくなった。
自分が子供として通学していたときは、先生と生徒という関係でしか教員を見ていない。

保護者として12年間小中学校に関わったので、保護者目線で思ったことをメモ的に。

中学校の部活
部活の顧問になると、部にもよるが基本的には休みがないのではないか、と思う。
平日は朝練で午前7時ごろから活動し、午後の練習もある日が多い。週末は練習の他に対外試合があったりもする。いつ休めるのか心配になる。
教員としての本来の仕事は部活指導の後にやっているとなると、当然残業が多くなる。
部活での休日出勤の手当てはお弁当代程度だと聞いたことがある。
「試合の帰りに先生に肉まんを買ってもらった」なんてことは時々あるらしい。こういう出費は当然持ち出しなんだろうから、部活がない方が経済的にも身体的にも楽になりそう。

採用が少ない
はっきりカウントしたことはないのだが、臨時採用の教員が3分の1ぐらいだと、まあそんなものかな、というのがここ数年の中学校の現状。臨時採用でも担任を持つ、というのは珍しくない。同一労働同一賃金なのか。正規の採用では、県の公務員の身分で各市に配置される。臨時採用だとどうなのだろう。
保護者が心配することではないかもしれないが、臨時採用は身分が不安定なので生活するのは大変ではないか。教員の数は生徒数でだいたい決まるルールがあって、大きく外れることはないので、学級の定員を25人にしその分の教員を増員する、というような施策は校長の裁量だけではできなさそうだ。計算のマジックで生徒数が少し減ると教員が一人減ったりする。

年齢構成
小学校では一時期、若い教員が増えない時期があったので、運動会などの作業が大変そうだった。本番が日曜日や土曜日なら保護者の手伝いを募集して作業することはできるのだが、平日の練習には対応できない。力仕事を主にするアルバイトを市が雇用することはできないのかな、と思ったりした。

雑用
たとえば給食費を払っていない保護者への訪問なども教員の仕事だったりするらしい。ただし給食費を実際に払わない保護者は1%以下だそうだ。これって教員の仕事なんだろうかという疑問はある。市に対して払っているものなんだから市役所の人間が行く方がいいんじゃないか?県の公務員である教員が集金に行くのって正しいのかな?
PTA会費などはすこしぐらい不足しても学校の業務が止まることはないのだが、給食費などは足りなかったらどうしているのだろう。お金が足りなくて食べられない児童がいた、という話は聞かないが。
こういう雑務から教員を解放しないと本業に使う時間が減る一方なんじゃないか。こども手当はこういうところに優先的にまわして残りを保護者にわたせばいいのに。

家庭訪問
個別に対応の必要な家庭への訪問は放課後に行われることが多い。以前に自宅近くで帰宅時に担任の先生に会うことが多く、なぜかなあ、と思っていたのだが、個別の家庭訪問だったのだと後で気がついた。これも必要なことなのだが、時間も手間もかけようと思えばいくらでも時間をかけられる。限られた時間のどの程度までかけて良いのか。


新人の実戦投入
一般企業との一番の違いは、新人教育期間が短いことではないか。新規採用された教員が担任を持ち、授業も行い、部活顧問もする、というのは当たり前にあること。企業にもよると思うが、4月に入社した新入社員には配属前にある程度のトレーニング期間があるところが多いのではないか?現在はそうでもないのかな?担任を持つと保護者との対応は新人でも旧人でも変わらないだろう。保護者の方は新人や臨時採用の教師かどうかをなんとなく意識はしているはずだが。
採用が少ない分、優秀な教員が採用できているとしても、「新人」の期間がないのはキツくないのだろうか。

労働条件
5,6年目の先生に「教員になる前にこんな厳しい条件だって知ってました?」と尋ねてみたら「全然そんなことは知らなかった。休暇も多いしもう少し楽かなと思っていた。」とのお返事。志望する人は採用される前にもう少し調べた方がいいし、逆に、採用する側(神奈川県)は事前に宣伝しておくべき。

2010/05/07

[PTA] 強制加入の中学校PTAの予算の一例

強制自動加入PTAでは、全世帯が加入する。世帯数は生徒数より減る(兄弟が在校の場合など)ことが多い。この兄弟の在校の有無などの情報はPTAは持っておらず学校からもらうしかない。このあたりの個人情報のやりとりも気にする人は気にするだろう。

世帯数が決まると収入が計算でき、これに基づいて、予算を立てることができる。
分担金も世帯数から機械的に算出するよう市P連から指示される。

中学校PTAの場合だと、各委員会で使う額は毎年あまり増減がない。2年間の数値を比較してみよう。
項目昨年度今年度
会費収入1,760,0001,896,750
旅費61,45032,430
消耗品・通信費75,29069,286
慶弔費94,65015,750
記念品費120,490139,838
分担金28,29831,391
損害保険59,50064,100
役員会費79,18973,071
校外指導委員会22,02511,000
成人教育委員会43,42144,172
広報委員会351,338376,840
学年委員会94,22887,875
花いっぱい運動推進委員会219,927219,267
厚生活動費112,544111,740
生徒活動補助費200,000200,000
特別積立金50,00050,000
予備費78,65351,976
次年度繰越額662,580994,843

広報委員会の実績が大きいのは、新聞の印刷代が入るため。PTAによっては全部学校のコピー機や印刷機で白黒の新聞を作るところもある、という話も聞いたことがあるが、毎年入れ替わるメンバーは通常自分たちが見ている雑誌やウェブに近いものを作るのが自然だしモチベーションが上がる。

繰越額が多い。総会は基本的にはシャンシャン総会なのでここで突っ込みを入れる人はいないのだが、100万円に近い繰越額は多いだろう、という認識はほぼ共通。

これについては、「余ったお金は周年行事に積んでおけばいい」との意見もある。これは企業で言うと内部留保を厚くしておこう、というのと似ているかもしれない。しかし、基本的にはお金を扱いなれているとは限らないPTAに多くの積立金があること自体が好ましくはないはずだ。

自分は、強制加入のPTA会費はその年度の生徒・学校のために使うという名目で集金しているものであるという性質上、必要最低限の繰越以外は使い切る予算を立てるべきだ、という考え。持ち慣れない金額を持っていてもロクなことにならないんじゃないかと思う。
これだけの繰り越しは無駄な集金を行っていることになる、とも思う。有効な用途を見つけられない本部の無能ぶりを示すとも言えるかもしれない。たとえば、高額なので市では手がつけられない修繕に使う(大きい木を切る、など)などして環境を改善すればいいのではないだろうか。

生徒活動補助費というのは、朝読書用図書を購入するのに当てている。これは実質的には海老名市への寄付に近い性質のものである。寄付と言う意味で言えば「花いっぱい運動推進委員会」で花壇に花を育てるのも学校の中に花を寄付しているようなものであると言えるかもしれない。

PTAにいろいろ干渉する市の教育委員会などもこういったややこしいことにはあまり口を挟まない。上納金を金額通り払いさえすれば後は勝手にやっていい。

神奈川県の県立高校では県が予算をつけないためにエアコンがない教室が多く、PTA会費でエアコンを付けるというのが多くの高校で行われている。これはかなりおかしな話なのだが、県教育委員会は黙認に近いらしい。一方で、電気代の関係でPTAだけの会議などではエアコン使用が制限を受けるなどというヘンな話も聞く。

今、子供が通っている座間総合高校もそうだし他の高校も多くは、学校の経費引き落とし用の口座からPTA会費も引き落とされているはずで、これもPTAは学校ではないから、おかしいと言えばおかしいのかもしれない。

お金をかけなくてもPTAの活動はできるはずだし、お金をかけない活動が「子どものため」にならないかというとそんなことはない。お金があると「お金があるから使いましょう」という論理が正しく聞こえる。ビジネス以外でお金を持つとこれに抵抗するのは結構大変。
基本的にはPTAは会費を集めない自動加入しない活動を前提とするべきなんだろう。