ページ

2011/08/28

田中理恵子 「平成幸福論ノート 変容する社会と「安定志向の罠」 」

水無田気流名義の「黒山もこもこ、抜けたら荒野」が面白かったので、海老名の三省堂で購入。

「一家の大黒柱」の男性に家族が生活を成り立たせるだけの賃金を支払い、配偶者の女性は「待機」することでなんとか生活が回る、というモデルが経済的・社会的に崩壊した。このことと、昭和以前の地縁血縁でがっちり固めたつながりの社会モデルもなくなってきた。

しかし、これを解決する一発逆転の「銀の弾丸」はない。本当に、どうするの、って感じではある。

経済的な意味では、生活を安定できる(と考えられる)仕事や収入を得られることは基本だろう。現在は20年間の経済だだ下がり状態の結果、これは絶望的。一方で、この国で育児にかかる費用の負担は企業を含めて個人の負担。

「昭和」社会が想定していたいろいろなものが失われているのに制度はまだ変わっていないという矛盾の結果として、リスク回避の選択をした結果、結婚や出産をしなくなっていく、という現状。

もう一つの、社会の中で人間が生きていくための「つながり」を退出の難しい家族を中心にしつつ、退出可能な緩やかなつながりの組み合わせにもっていけるのかどうか。

雨宮処凛がBig issueの143号 2010.5.15に以下のように書いていた。

「つながり」系の話になると必ず出てくるのが、昔の日本の長屋では醤油や味噌の貸し借りをしていて、というような一見「美談」っぽい話だ。(略)そんなディープすぎるつながりがあるところに住んだとしたら、すぐに音を上げて引っ越ししてしまうだろう。

何か、「長屋」系コミュニケーションに慣れていない初心者でも参加できる緩やかな「つながり」が身近にあれば・・・。今、結構切実に思っているのだが、個人の領域も侵されずにいざという時のセーフティネットになるつながりというと、残念ながら見当たらないのだった。
雨宮処凛がこういうことを書いたというのも興味深い。いろんな立場の人が同じように模索中というわけだ。自分自身も地域でそれほどつながりを持っていない。会社勤務の場合はそういうケースが多いのではないかと思う。自分が育った地元でもないから、昔の知り合いネットワークも持っていないわけで、首都圏独特な状況かもしれないが、本書でもあるように男性の孤独死はこれから増えたりするんじゃないか。

地域での参加については著者が参加する子育てコミュニティや講演会に行ったときの経験などから、地道な改善策が提案されていたりもする。 PTAなどやっていたときには、誰に向けての発信なのか、と疑問に思う市のイベントが多かったな、などということも思い出した。

平日午前と土曜日午前の2回に同じことをやる、なんていうのもできそうでなかなかやっている話を聞かない。こういうところは今の強制参加の旧態依然としたPTAでもなんとかできそうに思う。
ま、PTAはPTAで別の問題を山盛り抱えているので、これも「昭和」の清算として変わっていかねばならない。