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2008/02/28

[小学校] 東柏ヶ谷小学校にあそびっ子クラブ開設

東柏ヶ谷小学校の東柏通信にあそびっ子クラブ開設のお知らせが。

2月13日(水)午後2時45分に海老名あそびっ子クラブ東柏ケ谷が、開設しました。

・場所 東柏ケ谷小学校体育館
・時間 午後2時45分 ~ 午後4時
・持ち物 ランドセル等自分の荷物
うわばき(家に持って帰って、次の日に持ってくる)

詳しいことについては、配布したプリントをご覧ください。


今まで海老名市内の小学校のうち、あそびっ子クラブがない小学校が3校あり、そのうちの1校が東柏ヶ谷小学校だった。海老名市のウェブサイトには19年度中に開設予定となっていたもので、予定通り開設された。

小学校区内にはにんじん村学童保育もある。にんじん村学童保育は近隣に小学校が3校(東柏ヶ谷、北の台小、柏ヶ谷小)ありそれらの学校からの児童を受け入れているようだ。

2008/02/25

斎藤正彦「親の「ぼけ」に気づいたら」

老親の介護をする予備軍としての準備が全くと言っていいほどできていない。
二人とも元気だと言っても、年も年なのでいつまでも二人だけでやって行けるとは限らない。
そう思ってbooxから購入した一冊。

著者の斎藤正彦は高齢者の精神医療、司法精神医学が専門の医者。文章がうまくて、一気に読めてしまう。内容は著者の患者の何人かを合成した人物の「痴呆」(認知症は学術用語として認知されていないし一般にもなじみがないとして本書では「痴呆」を使っている)の発症から死亡するまでの経過を「物語」として追いながら「解説」を加える形式。所々には、主治医としてかかわった他の患者のエピソードが織り込まれている。

様々なケースを医者の筆から知ることができるばかりでなく、避けて通れない問題である介護に対する考え方や施設についても解説されている。今のところ決して治療できない病を得た家族がどのようにして人生の最後を豊かに過ごすのか、また、介護する家族の人生も豊かであり得るのか。
  1. 介護は<痴呆老人>という種類の人々に対する一方的なお世話ではなく、不運にも痴呆性疾患という病気になったかけがえのない個人の援助であること。
  2. 客観的な知識を冷静な観察があれば科学的な介護ができるということ。
というポイントは一貫して本書を流れている考えである。よく言われることだが、デイサービスなどをうまく利用することで介護される側の症状もいい状態になることが本書でも書かれている。自分がその立場になると難しいことだと思う。

あとがきより一部引用する。

最後に、介護のこつを一つ伝授しましょう。それは、介護者が幸福であるかを常に自問することです。自分が幸せでない人に、他人を幸福にすることはできません。痴呆症状を抱えて幸福になるのは大変です。誰かの助けが必要です。自分に余裕が無いのに、溺れる人を助けようとすれば、助けを求めた人と一緒におぼれてしまいます。無理は絶対禁物です。


その場になってあわてて読むのではなく、まだ自分の心に余裕があるうちに読めてよかったと思える一冊。ただし、この本にもかかれているとおり、情報集めは早めにやっておく必要がある。また、本人に告知しておくことで症状が進んだ時の後見人制度などの利用もスムーズに行くことが強調されている。これは病院や主治医にもよるかもしれないが大きなポイントだろう。

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斎藤 正彦

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2008/02/20

[柏ヶ谷中学校] 柏ヶ谷中 校舎に横断幕



先日、柏ヶ谷中学校の前を通ると、校舎の屋上の手すりに垂れ幕がかかっていた。新しい垂れ幕なので最近掲示されたもののようだ。
企業にも「コーポレートアイデンティティ」があるように、学校にも、「スクールアイデンティティ」があるのかもしれない。公立中学校といえども積極的にアピールしていくことが大切だと思う。



「あいさついっぱい花いっぱい
地域とともに育つ柏中」

日時計花壇にはパンジーがきれいに植えられていた。

2008/02/18

[青健連] 柏中学区カローリング大会

散歩していたら自治会の掲示板に青健連のカローリング大会のお知らせを見つけた。
海老名市のカローリング大会もあるらしい。
海老名市は冬のスポーツとしてカローリングを推進しているのだろうか?

ポスターの内容は以下の通り。

柏中学区青健連スポーツ事業カローリング大会
会場:柏ヶ谷小学校体育館

日時:2008年3月9日(日)午前9:00から正午まで
対象:小学生以上
未経験の方も指導しますので、安心してご参加ください。
運動のできる服装で体育館履をご用意ください。
参加費無料・当日会場にて受け付け・参加賞、トン汁もあります。
グループの参加は3名1組で申し込みください。
お一人での参加もできます。

*カローリングは氷上のチェスとも呼ばれるカーリングを体育館で体験できるスポーツです。運動量はあまり多くありませんので、子供からご年配の方まで”スポーツは苦手”という方でも楽しめます。
*賞品を多数ご用意してご参加をお待ちしております。


日曜日の午前9時となると子供は起きているのかな?今の子供たちは週末も塾や習い事で忙しいからこういった行事に参加できる子どもは減少しているだろう。そもそも、子どもの数そのものが減っているのだし。

伝統的に冬に体を動かさせるための行事は昔からあるが、人数が少ないとなると、逆に、対象を絞り込んで運動不足の解消を目指します、というような明確なターゲットを設定したほうが集まりがいいかもしれない。

2008/02/16

茂木健一郎『「脳」整理法』

以前に読んだ「五十歳からの危機管理」と同じときに近所のブックオフで購入した新書。

「脳」整理法の著者の茂木健一郎はソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャーである。

本書では:
「世界知」と「生活知」の乖離が広がっている。その間でその二つをつなぐのは一人しかいない自分の脳である。しかも、この二つのどちらにも偏ることなく出来事を「整理」するのは脳の働きなのである。
ということがテーマとなっており、題名から連想されるハウツーものではない。脳を考える上でのキーワードは「偶有性」(contingency)だ。これは、物事が半ば規則的で半ば予測不可能であるという性質である。この性質は科学では扱えないものであり、人間が有する性質である。人間自体が他人から見れば「偶有性」を帯びた存在であるがゆえに、人と人とのかかわりが創造的なものでありうる。
一方、「科学」は偶有性を排した「神の視点」からの論理によって形作られているが、科学者は自然言語と数式のようにハイブリッドな思考を使うことで「世界知」と「生活知」を行き来して事象を理解している。日常の多くの出来事が「偶有性」を持つがゆえにこれを整理することが脳の大きな仕事になる。

これらのことを説明した上で、偶有的な世界で生きていく上での脳を使う知恵をいくつか説いている。
ディタッチメント -- 「神の視点」に立っているかのように立場を一時的に離れてものごとを観察する
セレンディピティ -- 「行動」「気づき」「受容」が「偶然を必然にする」ために重要である
根拠のない自信をもつこと -- 「偶有的」な世界と渡り合うためにはすべてがコントロールできないことを認め、根拠のない自信を持って進む
大文字の概念 -- 「国家」「ネットワーク」などの公共的な概念にも「偶有性」を担保する。「私」に引き寄せて考える。

単に「こうすればこうなる」という助言ではなく、どうなるかわからない世界と渡り合うための知恵を脳研究の立場から考えている。しかも「科学否定」ではなく科学の恵みも享受することも忘れていないところに個人的には共感した。ディタッチメントや概念を語るときに主語を入れ替えることで偶有性を復活させるなどの方法論の導入の前の一節が気に入ったので以下に引用する。

昨今の日本のように、情緒的な科学離れが進む事態は、実にゆゆしきことです。「私は数学が苦手」だとか、「科学みたいなことよりぃ、私、ロマンティックなほうがいい!」とのたまっている人の顔を、私はまじまじとみて、それから静かに諭してやりたいと思います。
「科学の恵みに感謝して、科学的精神をきちんと育んでおかないと、その肝心な、ロマンティックな生活自体を失うことになるよ」と。


脳科学の長期的な課題である「世界知」と「生活知」の統一はまだ実現していないのだが、これに何らかの進歩があれば、翻って生活にも影響があるだろう。

また、科学離れを脳科学者というよりも一科学者の立場からコメントしている部分は重要だと思う。

人類の歴史を見ると、世界を自分の立場を離れてクールに見る「世界知」を忘れ、個人の体験に根ざした「生活知」に没入することは、きわめて危険なことだということを示す悲劇に事欠きません。「認知的距離」を大切にし、客観的なデータに語らせようとする科学的精神を大切にしないことには、大きな危険が伴います。
昨今、日本では「科学離れ」が喧伝されていますが、世界の大きな流れを見れば、日本人は、「世界知」の骨組みを揺るがせる「科学離れ」を放置している場合ではないのです。

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2008/02/12

[柏ヶ谷中学校] PTA本部役員引き継ぎのお知らせ

2月7日付のPTAからの手紙を子どもが持って帰ってきました。
新本部役員への引き継ぎです。3月8日(土)に中学校で行われます。新本部への引き継ぎが午後1時からですから、現本部は朝から会議続きでしょう。4月からは私がその生活をすることになります。(汗)

新役員の任期は4月のPTA総会にて承認されてからになりますが、実際はそれを待たずに引き継ぎなどをするのはどこのPTAでも同じことでしょう。

柏ヶ谷中学校でも引き継ぎは前もって進めておき、総会以降の活動は新年度の本部および委員会で行われます。

実質的にはPTAの仕事が3月8日から始まることになります。

2008/02/09

[柏ヶ谷中学校] 職業調べ、職業体験

柏ヶ谷中学校では、一年生は職業調べ、二年生は職業体験実習という職業に対する理解を深める学習がある。「柏中フロンティアワーク」という名前の活動だ。
職業調べの方は職場にお邪魔してインタビューをすることによって職業に対する認識を自分の中に作る。それをもとに2年生の職業体験で実習する。

総合学習の一環として行われているのだと思うが、始まったころは一年生、二年生とも職業体験だった。いきなり一年生を職業体験に送り出しても、職場でもなかなかお役に立つところまで行かずにご迷惑をかけていたのではないかと思う。さらに一年生、二年生を送り出すとなると人数が多くなることで受け入れ先が問題となる。

受け入れ先は学校が受け入れをお願いしている。ここにもかなりの労力が(依頼する側、受け入れ側)割かれているし、受け入れていただいたあとはお礼に伺うなどなどさまざまなことが発生するはず。そういう意味では親は実習先に買い物に行ってみたりしつつ様子をうかがうぐらいしかできない。お店の方が実習生を受け入れることで売り上げを期待するというようなある意味即物的な見返りを期待されていることはないと思う。が、実際問題、職場が地域に存在しなければ実習そのものが不可能なのだから、地域経済が成り立っていてこそ、の実習である。

そういう意味で考えると、たとえば、安易な話だが、保護者は買い物は地域でする、などのような地域に対する貢献を考える必要があるのではないだろうか。今、「企業」が「社会」に貢献するという枠組みとして「CSR」をアピールすることがあるが、保護者から地域への貢献(保護者も地域の一員だから深く考えると矛盾があるが)は考えるべきことの一つなのかもしれない、と思う。そうじゃないと、都合のいいときだけ、地域の中学校をよろしく、ということになり、それはあまりにも手前勝手ではないだろうか。

2008/02/02

河村幹夫「五十歳からの危機管理」

近所のブックオフの新書コーナーに別の本(「生物と無生物の間」)が出ていないかと探しに行って目に止まった本。目的の本はなかったのでかわりに買ってきた。著者の河村幹夫氏の著書は以前に一度読んだ記憶があった。題名は覚えていないが、確か、サラリーマン生活に関する本だったと思う。

そろそろ自分の年齢に近くなったこともあって、定年や老後というテーマの本が気になる年になってきた。

副題に「健康・財産・家族の守り方」とあるとおり、老後の生活に何千万必要であるからすぐに投資せよ、といった類の煽りは全くない。著者は五十歳にかぎらないが定年を間近に迎えた世代に対して主にリスクマネジメントを中心に据え、自らの経験を引きつつ助言をする、という内容。

海外赴任経験もある商社マンから大学教員に転職しているという経歴のためか、長期的・国際的な観点での記述も多い。特に、心にひっかかった一節を以下に引用する。

残念だが現在の私には、経済は中規模であっても、国家には品格があり、国民は品性を保ち、凛としたプライドと自信を持って、胸を張って生きている、そんな10年後の「この国の姿」を頭の中に描き出すことは、できない。
その理由は多々あるが、重要なことを一つだけあげれば、それは「教育の劣化」である。何も今始まったことではないが、能力面でも精神面でも何一つ本質的なものを与えることなく、ただ役人の書く朝令暮改的な方針の表面的な執行だけでは、日本国民としての筋金のはいった、世界で尊敬される人物をシステム的に世に送り出すことはますます不可能だからである。
むしろ私の頭に浮かぶのは、静かな10年後の日本である。ここでの静かというのはけっして静謐(世の中が穏やかに治まっている)ではなく、むしろ頽廃の危険を秘めた無気力な静態である。高齢者に元気がない、若者に元気がない、それでいて、他人よりもすこしでも恵まれた状態にいたい、他人よりすこしでも多くマネーを持っていたい、他人より少しでも安全でいたい。そんな人ばかりになったら、国家として成立しているだろうか。また諸外国からの圧力に勝てるだろうか。
(中略)
答えは誰にでもわかっているはずなのだが、決断と実行を一日のばしにしている。そういう国と国民に、よりよき明日はあるだろうか。


私は団塊の世代の直後の世代。自分の定年のときには定年後老人が世間にあふれている状況を想定しているが、そのとき、その老人たちはどのように暮らしているのだろうか、というイメージは全くもてないでいた。この本を読んで、そちらばかりに気を取られているのではだめだ。自分なりのこの先の十年(あるいは二十年)のイメージを明確に持ち、リスクにも備えることが大切なのだ、と思い直した。改めて書いてみれば何一つ特別なことではないのだが、日々の生活で手一杯な自分にはこういった本を読み「先達」の言葉を聞くことも必要なこと。特にこの年代の知り合いが近くにいて意見を交換できる環境を持っていないからなおさらだ。
五〇歳からの危機管理―健康・財産・家族の守り方 (角川oneテーマ21)五〇歳からの危機管理―健康・財産・家族の守り方 (角川oneテーマ21)
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