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2009/01/06

湯浅 誠「反貧困 -- 「すべり台社会」からの脱出」

NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの活動をどこかで読んだのはずいぶん前になる。そのときは、その活動の対象となる人や状況について具体的に想像できなかった。その後、エム・クルーグッドウィルなど日雇い派遣にまつわる報道などに接することがあってもそこと「もやい」に関連があると思っていなかった。

もやいの活動を行っている著者による貧困問題の解決のための「強い社会」づくりを広く訴える一冊。

貧困という問題は個人の「手持ちのお金が少ない」という現象で特徴づけられるのは当然だが、貧困が大量に生み出される「貧困問題」は社会の問題として対処するべきである。にもかかわらず、政策的には、貧困を生みだすしかけは作りだされる一方で3重のセーフティネット(雇用、社会保険、公的扶助)が充分に機能していないため、一度貧困状態になったら復活できない「すべり台社会」が現実のものとなっている。

2008年年末現在、世界的な不況の影響により派遣契約終了とともに寮を出なければならない人のために自治体が臨時職員として採用したり、公営住宅の空き部屋を融通したりしている。しかし、根本的な問題は、生活保護や失業保険などのセーフティネットを十分に活用できる仕組みを整備していないことではないのだろうか。

貧困から生活を再建するための仕組みが十分ではない上に、福祉事務所が生活保護申請を受け付けない「水際作戦」(北九州の「おにぎり食べたい」事件で有名になった)といった何重にも防衛線が引かれた行政の仕組みによって、社会から排除する仕組みはできており、機能している、という。しかも、厚生労働省は生活保護基準を切り下げようとしている。

残業代ゼロ法案(ホワイトカラー・エグゼンプション)にからんで、奥谷禮子氏の「自己責任」発言で
  1. 社員には(休むという)選択肢があった
  2. 社員は、あえてそれを選択しなかった(休まなかった)
  3. 本人が弱く、(ボクサーのような)自己管理ができていなかった
  4. それは本人の責任である
  5. 社会や企業・上司(もちろん経営者も含む)の責任を問うのはお門違いであり、社会が甘やかしているだけだ
という論理が展開されて、インターネットの掲示板などで批判を浴びたことが本書でも紹介されている。が、これと同じ論理は井戸端会議的な流れの中でよく繰り返されるものでもある。それに対して著者は
労働者が「休む」という選択肢を取るのは簡単ではないのに、誰でもいつでも休めたかのように言い繕い、過労死という死の責任を被用者に押し付け、使用者の自己責任を棚上げしている
ことに多くが気が付いたから批判を受けたのだ、という。そして貧困問題にも同じ構造があり、
実は、貧困状態にまで追い込まれた人に自己責任論を展開するのは、奥谷氏が過労死した人に自己責任を押し付けたのと同じである。貧困とは、選択肢が奪われていき、自己選択ができなくなる状態だからだ
と説明する。

「貧困問題がない」という立場から政治はいまだに脱することができていないと感じる。労働組合も「管理職以外の正社員」のみを対象とする活動が中心だったところから路線を変えることができたのだろうか。著者の言う「溜め」を社会全体が失いつつある、もしくは増やすことができていないようだ。著者が2008年の「私学のつどい」で、高校生ぐらいになったら、自分がもし貧乏になったときに生活保護など受給の権利があるしくみを学習させておくべきだ、という主張もこの「溜め」を作ることになるだろう。

追記:
2008年年末、著者らは東京都の日比谷公園にて、派遣契約終了などで失職した人たちを対象に「年越し派遣村」を運営していた。ここに集まった人たちを100人のオーダーで生活保護申請につなげることができた、とのこと。
また読売新聞の1月5日の報道によれば、自民党の坂本総務政務官が「自己責任」的な発言をされたとのこと。やはり見えない「溜め」を総務省の政治家の立場から見るのはむずかしいのだろうか。

坂本哲志総務政務官(自民、衆院当選2回)は5日、総務省の仕事始め式のあいさつで、東京・日比谷公園の「年越し派遣村」について、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかな、という気もした」と述べた。

追記2:
1月6日に上記発言を謝罪した(朝日新聞より)。

会見で坂本氏は「関係している多くの方々に不快な思いや迷惑をかけた。発言を撤回して深くおわびしたい」と頭を下げた。その上で「(集まったのが)500、600人の大人数だったので、それだけ雇用状態が深刻だとは思うが、そうではない人たちがいるのではないかと頭をよぎった。実態をよく把握しないまま発言した」と説明した。

また、学生運動を引き合いに、「『学内を開放しろ』『学長出てこい』、そういう戦略のようなものが垣間見える気がした」と発言したことについては「学生運動の時の手法と似ているという気もしたが、思い過ごしだった」と釈明した。

著者は本書で2008年第8回大佛次郎論壇賞(朝日新聞社主催)を受賞した。

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