中学校ですごいいじめに遭いながらも生き延び、ビジュアル系にはまり、リストカット、オーバードーズ、新右翼団体を経験したりイラクや北朝鮮にも行くなど、客観的にみれば一貫しているとは言えない経歴。
しかし、その過程のどこでも友達を作り、人に意見を学習し、自らも体験を蓄積し、手作りの哲学を作り上げている。「脱貧困の経済学」での飯田泰之の話も素直に聞く耳を持っていたのも、この人のある意味「素直さ」がそうさせていたのだ。
人の話を聞かずに自分の主張だけを言い立てるのとは違う一歩下がった姿勢がロスジェネ世代の当事者として共感を呼ぶのは当然かもしれない。
言及されている宮台の「まったり革命」とか岡崎京子とか、ちょうど読み返していた「ゼロ年代の想像力」との符合が興味深い。
個人史なので個々のエピソードが具体的だ。リストカットしたときの気持ち、とか、新右翼ってこういう団体だった、なんていう説明や、オウムに入信しそうになっていたときに考えていたことなど、フリーターとして社会の中での立場を確保できないことの苦しさが、今の自分が当時の自分を振り返る形で克明に描かれている。
小泉政権が生活を破壊したと言い切っていたりするあたりは、ちょっと違うかもしれないのだが、ロスジェネ世代からみたとき、小泉政権前後に生活が変わった実感があったのだろう。
95年の神戸淡路大震災、オウムでショックを受けた後のことを著者はこう書いている。
そうして手に取ったのが「ゴーマニズム宣言」である。今ここで笑った奴、前に出ろ!と言いたいところだが、まあ聞いてほしい。『SPA!』は三七〇円。貧乏フリーターには三七〇円の『SPA!』ぐらいしか買えなかったのだ。
そういうことだったのか、と当たり前のことに気が付いた。収入が違うと接するメディアも大きく違っているのだ。
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