それぞれの問題意識で書かれているので、独立しても読めるし、最初の2人の内容を受けて、メディアリテラシーと政治の関係を鈴木が解説しているという風にも読める。
飯田は自分の前著である「ダメな議論」の内容をより使いやすい技法に簡素化している。確かに、「ダメな議論」は納得してもなかなか使いこなせなかった。
鈴木の章が一番面白く読めた。前の二人が情報を中立的に読むことや、流言に対して広げる側から広げない側に立つための方法論を提示しているのにたいして、そもそもメディア・リテラシーは政治的に中立な概念ではない。これを導入に、「偏っていない」情報を求めるだけではなく、偏っている情報から何かを得たり、スルーされている情報や立場に光を当てたりする方法としてのメディアリテラシーを発展させることが「共生」する社会を作っていくことにつながるのではないか、と提示している。
新リベラリズムとコミュニタリズムの解説は、鈴木の解説が自分にとっては優れた要約になった。そういうことだったのか、と納得。この部分は学生を相手にするような調子でところどころでまとめつつ、話を進めてくれるのでわかりやすい。
この章で紹介したメディア・リテラシーとは、単なるメディアの使いこなしスキルだとか、様々なメディアの情報の中から、客観的で中立的な情報だけをより分ける眼を養うというものではありませんでした。むしろ、そうした情報を得てもなお残ってしまう僕たちの情念、偏りといったものを自覚し、異なる立場の人に発信し、また相手の立場を理解しようとする、そのためにメディアの情報を批判的に読むことを推奨する理念が、僕のいうメディア・リテラシーです。
こういう使いこなしの向こうにある社会に向けて発信することも含めたリテラシーの話って自分の中にはこれまで全くなかった。どちらかといえば「口を開けて待っている」中でよりよいものを「口に入れる」ことだったと思う。
この立場に立つと、ダメ情報がダメとばかり言わずに、なぜそのダメ情報を発信しているのか、から意味を読みとることも可能だろう。
さらに、この本がNHK出版の生活人新書から出ているというのも面白い、と思う。
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