何かを考えるとき、ある手法を意識的に使ったことはない。
以前に読んだクリティカルシンキングの場合は、まとまった手法というよりも批判的に見るためのテクニックに近かったかな、と思う。
ディベートの経験が「個人の意思決定」にこそ活用するべきと著者は考えた。しかも、これから、悪化する状況の中で決断をしなければいけない日本の若い世代にこそ、その技術が必要だという。
そういった動機から大学での授業をおこなったりもするそうだ。
なんとなく授業風な語り口になっているのはそういう理由だからか。
ディベートそのものを教えるのではなく、自分のかかえている問題をディベート風(一人ディベート?)に、立論と反論を行うことで、メリット・デメリットのどちらが大きいかを判断し、「そのときの最善解」を導く技術を身に着けてほしい、というのがこの本の趣旨。しかし、大きなテーマはディベート技術のマスターではない。
知識・判断・行動のすべてをセットでこなすことできるようになること、その力で大きく社会を変えてほしい、というのがこの本を通して流れるテーマだ。
反論を予定して論を立てる、というのは、以前に読んだ香西 秀信の本などにも通じるところがある。
大学でこういう内容の授業をやるというのは面白い。
0 件のコメント:
コメントを投稿