朝日新聞web新書 PTAは子どもの役に立っているのか 「苦労のバトン、渡さないで」
http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2012052800003.html
朝日新聞の2012年1月から5月に連載されたPTAに関する記事がweb新書になっていた。
この時期、新聞を読売に変えていたために記事のことはおそらくPTA関連のblogかtwitterで知ったのだと思う。図書館まで行く気分にならず放置していたところ、asahi.comでweb新書に出ていたのを見つけた。
新聞には毎月3500円ぐらいを払っていても高いと思わないのに、記事を210円で読むとなるとなんとなく高い気がしてしまう。無料で見れないかと朝日新聞のサイトで最初の何ページかを見たところ、「7人の敵がいる」の加納朋子さんのインタビューが載っていて面白かったので購読を決めた。
数か月の連載なので読んでいる読者からの反応が寄せられ、それを記事に取り入れてまた取材している。これを見ると、田舎ではPTAを抜けると実家に文句が来るようなところも相変わらずあるらしい。海老名市でも場所によっては、次の役員は誰々と雰囲気で決まる地区もある、という。そういうところで任意加入を言い出すと「いらんことを言うな」という雰囲気になるところもある、と記事にあるようなことになりそう。
気になることは、生徒数減少にもかかわらず行事規模は同じであるため、会費が上がっているPTAが多いということ。生徒が少ないならば行事にかかる費用は減らさなければならない。もちろん、前例踏襲では減らせないのだから努力が必要だろう。それを会費増で賄うというのではPTA活動が不要とみなされてもしょうがない。
この会費増は日P(にっぴー)も同じことをやっている。全国組織としての無駄を省くことは必要だ。本当のところ、上位組織などなくても単Pが困ることはほとんどない。
任意加入を周知すると誰も入らないとの懸念が多いことは記事の取材や反響でも確認できる。しかし、記事の中では周知したからPTAがなくなったところはない(もちろん、全部のPTAを取材してはいないから可能性はある)から、PTAというボランティア組織は形を変えて活動するだろう、と思う。
また、この視点が抜けていたな、と自分が思ったのは、保護者は任意でも教員は強制参加になりがち、ということ。自分の経験だと、教員によっては保護者に任せきりの委員会もあった。一方で、細かいフォローをお願いできたこともあったから、教員の参加度合は同じ学校でもかなり異なる。教員をこれ以上多忙にしないためにも明確にボランティアとしたほうがいいのではないか。
記事中にあった2010年の横浜のイベントにはたまたま参加していた。任意参加の話が広がり始めるきっかけがあのイベントだった、というのは意外だ。かなり以前からの話題だと思っていた。
海老名のような田舎でも、家族の形はいろいろである。単親家庭だったり、単親+老人だったりすると、昔ながらのPTA活動に参加する余裕はないだろう。無理やり活動に引っ張り込むより、体育祭の見学にちらっと顔を出して子供の成長を確認できることが、その家庭には良いことだったりするかも知れない。
PTAのエライ人が「子どもが学校に通っている以上、親が何らかの形で学校に関わるのが当然」というときの「何らかの形」と、単親家庭+老人家庭の保護者ができる「何らか」の間には大きな開きがあるだろう。そういうときに「がんばってやりましょう」とやると、ボランティアじゃなくなって強制活動になる。
自分として最も納得しがたいというか不愉快だったのはPTAを第2の財布と期待している市町村(場合によっては県、ひいては国)の教育行政だ。言い方は下品かもしれないが、給料に見合う仕事をできていないと感じる。
PTAの任意化のときに引き合いに出されることの多い子供会の衰退については、身の回りで見る限りでは、保護者の負担が大きすぎてついていけないという理由の他に、5,6年の女子だと、やりたい活動がないからつまらない、というのもあった。PTAもこども会もニーズにあっていないところがあるのではないだろうか。
このweb新書は新聞記事なので短い章立てになっていて読みやすい。任意加入についての新しい取材情報が多く、今活動しているPTA会員の人達にも役に立つと思う。