コラムは、PTAを含む全体(学校、地域、家庭、保護者同士、他団体)が「ゆるやかに連携」した持続可能な組織として存続することが大切、という趣旨の文章。
この中で
PTAは、社会教育団体という組織として位置づけられていますが、本分は前述のとおり子どもたちの健やかな成長の助けとなるよう機能することです。子どもたちの幸せのための活動に上下関係などあるわけがありません。ですから、単位PTAも市・群P連も、県P協、日Pもすべて横並びの関係と言っていいでしょう。<中略>
本来PTAは、任意の団体であり、加入も任意のはずです。ところが、子どもが小学校に入学すると同時に、保護者はPTAの会員になってしまいます。そこには、退会の自由はありません。(本来は脱会も自由にできるはずですが。)そして、役員に任命されようものなら、十字架を背負わされたかのような責任がのし掛かってきます。本当にこれでいいのでしょうか。
では、PTAを希望者のみの加入にしてみましょうか。そうしたら会員がいなくなってPTAが存続の危機に瀕してしまうのでしょうか。もし、貴方の学校のPTAが、そのような雰囲気だとしたら相当危険です。それは、PTAという組織のために会員が働かされているという状態になってしまっているからではないでしょうか。任意参加であると明言していることにちょっとびっくり。
さて、ここまではPTAが事実上の強制加入になっていることと、「義務」化した活動から来るPTAの状況についてまとめている。続いて、
子どもたちのためのPTAという本来の姿であれば、PTAは必要不可欠であると思う保護者がほとんどで、PTAなんてないほうがいいと思う人はいないのではないでしょうか。という風にうまくまとめている。さらにそのためには「緩やかに連携」することで参加しやすくなるのでは、と言う提案だ。
参加しやすいPTAにするためには、会員が「楽しめる」工夫が必要です。PTA行事が「参加しないと損しちゃう」ような出来事になると、とてもいいですよね。
「現役」の中学校PTA本部スタッフから見ると、市P連の会長校になったら県Pの会議に平日昼間に呼びつけられるし、PTA会長になれば市からの充て職がたくさん強制的に割り当てられる。これも招集は平日昼間。また、単位PTAの会長会の日取り一つ自分たちで変えることも難しい状況だ。
県Pの「役員」にも他からの充て職が多くあるなど、「上下関係」は確実にある。少なくとも単位PTAからすればそれが現実だろう。
このコラムを読み、県Pでも現状のPTAの「不同意参加」からくる沈滞ぶりに危機感はあるのかな、と思いつつも、「子どものために」というキーワードだけでは活動をまとめあげるのはやや危険な感じがする。下手をすると「子どもを人質に取られている」感が強くなって、一層「強制」的な活動になってしまうんじゃないだろうか。
自分としては、
「子どものためにできること」はPTAだけじゃない。「PTAは平日の行事が多くて無理なんだけど、土日のサポートならできる」という人がいてもいいし、「学童保育の支援をしたい」という人がいてもいい。多様な選択ができるようになっている。そのどれに参加してもいいんだから、PTAの参加者が減るのは望ましい方向かもしれないよね?
と突っ込みを入れたい。というわけでコラムの論旨には同意できないところがあるのだが、任意参加だし退会も自由なはずだ、ということを書いていたのは興味深い。県P視点からは「だけど、みんな参加したいはずだよね?子供のためなんだから」となる。しかし、実際の現場では「周りが許さないから参加しなくちゃ」となるんじゃないか、という意見が自分の周囲では多い。
それはそうと、下々では「県P」と読んでいるのに対して、自分たちのことは「県P協」と呼ぶのだ、というのはこのコラムで初めて知った。
0 件のコメント:
コメントを投稿