しかし、この本によると、アメリカの科学アカデミーの委員会が出したレポートでは
被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない。最小限の被曝であっても、人類に対して危険を及ぼす可能性がある。こうした仮定は「直線、しきい値なし」モデルと呼ばれる。と報告されたとのことだ。
また、低線量ならば細胞が修復するので危険性はない、という説に対しても、これとは逆に「低線量の被曝が高線量の被曝に比べて単位線量あたりの危険度がむしろ高くなる」という説が出てきているそうだ。
低線量は安全なのでほっといていい、という前提で立案・実行されている現在の民主党政権・各官庁の政策がすべてひっくり返る話である。
放射線からの受ける影響は若いほど大きく、50歳代になるとかなり影響が少ない、などという話はもっと強調されるべきだろう。さっさと京都あたりに疎開した人以外は、2011年3月15日以降の降下物により、少量の内部被ばくにさらされたはずである。半減期30年(1000分の1になるのに約300年)のセシウムは筋肉や生殖器に取り込まれ遺伝子障害やがんの原因となるので、子供時代に首都圏で内部被ばくした人の子供たちにまで影響が及ぶことになる。
また、原発の稼働時に出てくる核分裂生成物の処理のために「高速増殖炉が稼働する」前提でプルトニウムを作り続けているが、高速増殖炉の実現は遠くなり、プルサーマル発電(福島第1の三号炉)は原発の安全性を低くする、という。廃棄物処理を先送りにしたまま原発は安全だと主張する海江田氏や枝野氏は(あるいは、原発賛成っぽい論説の多い読売新聞)はこの問題は解決できないけど原発を稼働させたい、ってはっきり言えばいいのではないかと思う。
大事なのは「自分の被曝を容認するかどうかは、自分で決める」ということです。
という原則は原発大国となった日本国民全員が意識しておくべき。
原発に限らず、年金問題についても、「長期的に問題になりそうなこと」は解決案の立案の際にあまり問題にされない傾向があるような気がする。官庁や政治家の計画立案は双極割引き的で手近な安易な解決を採る傾向が強いのだろうか。