第3章の「自分探しが食い物にされる社会」では、PR会社がしかけた話題作りとしての引退劇が解き明かされている。
事実、中田の引退はPR会社の仕事として、綿密に仕掛けられた部分が大きい。トヨタとキヤノンは引退後の中田をCMに起用し、旅の途中の中田の映像としてテレビCMを流していた。チームメイトすら事前には知らされていなかった中田の引退だが、主要スポンサーには3カ月前から知らされており、こういったCMが事前に企画されていたのだ。
このPR会社は「ホワイトバンド」で有名になったPR会社でもあるらしい。
ホワイトバンドや「豪快な号外」やビーチロックハウスなど自分探しホイホイと著者が呼ぶビジネスについてもページが割り当てられている。自分探しにつながる「自己啓発」がニューソートというキリスト教の分派を源流としているなどという話はこの本で初めて知った。
自己啓発セミナーのちょっとカルトっぽい雰囲気も、この説明で納得が行く。
自分探しをする若者をテーマにしながら、その解決の手立てを示せないのが気がかりだとあとがきにあったが、簡単な解決法はまた別の落とし穴につながっていくに違いないのだから、示していないのはまともな態度なんじゃないか、と思う。
今では「就職活動」と「自分探し」がなんとなく結びつきつつあるようなのだが、クリエイティブな自分を信じる人は別として、普通の人間は仕事の中でいろんな経験を積み重ねていけばいいんじゃないのか。
たとえば、「やりたいこと」を仕事にするのが正しいのだ、なんていう話を学校や企業が語るのをやめるだけでもかなりみんな気が楽になると思うが、どうだろう。
企業の中で働いていると「やりたいこと」だけをやっている人なんているわけもなく、やりたいこととやりたくない面倒なことが混ざった仕事があるだけだ。それに、総務や人事から経理などに至るまで、その仕事を「やりたいこと」として選んでいる人はごく少数だ。
日本の経済政策がぐだぐだでこの20年ぐらい「だだ下がり」だから、就職の際の落選で自分が否定されているような気分になる学生が多いのはわかる。しかし、だからといって「自分を突き詰める」方向性での就職活動を企業が強制したり、就職ビジネスが助長したりするのはどうか、と。
これとは別に、「団塊」定年世代が大量に自分探しを始めそうな気配もありそうで、ますます自分探しホイホイは広まっていきそうだ。