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2009/05/21

瀬戸内寂聴 「老いを照らす」

講演と法話を集めたものらしい。内容が前後することもなくちゃんとした章立てになっているところはさすがに小説家だ。

タイトルどおりの「老い」や「死」ばかりでなく、自分がかかわった文人たちの老いや死、あるいは「今の世の中は今まで生きてきた中で一番悪くなっている」だから「自分が間違っていると思ったことには声を上げていくべき」というような呼びかけまでが含まれている。

仏の慈悲や戒律について説明したところは非常に面白く、そういうことか、と腑に落ちた。たとえば、一番大切な教えは「殺すな。殺させるな」である、というところや、以下のような戒律の役割の説明にはなるほど、と。

仏様はすこしくらい戒律を破ったからと言ってすぐ怒り出すような了見の狭い方ではありません。特に在家の場合は、戒律は「これをしたら罰する」というルールというよりも、自分の生活を反省し、よく整えるよすがだと思ってもいいのです。
<中略>
不偸盗戒(ふちゅうとうかい)は、たとえば企業であれば、工場のばい煙や排水が、環境を汚していることを自覚して、社会貢献をしたり、工場のばい煙や排水をなるべく減らすよすがとなります。こう考えると、むしろ戒律を守れない自分の自覚こそが、悟りへの道となるのです。
 今、社会や地域から在家仏教的な日常と混在した宗教がなくなる一方で、カルト宗教による問題が発生するのは、こうした立場で戒律をとらえることができなくなっていることと結びついているのかもしれない。戒律が「破ってはいけないルール」と認識されたことで、「より緩そうなルール」を求めることになっていくという流れの先に様々な問題が発生している気がする。


宗教的な話と、自分の姉を亡くしたときの体験など個人的な体験を対比させながらわかりやすく話すところが法話の人気が高い秘密なのではないかと思った。

TVのスピリチュアルな番組での仏教の取り上げ方には不満があるようで、

あの方は仏教にもあれこれ言及されますけれども、仏教の本質がまったくわかっていない。そういう執着を離れれば幸せになれる、と教えるのが仏教です。まったくさかさまことをなぜ言うんでしょうね。
「お墓参りで願い事をしてはいけない」というのも、別にどちらでもいいと思います。そんなことで仏様は怒ったりしませんから、安心して祈ってください。

これだけではなく、本当に祈るべきなのは「忘己利他」の精神に沿った他人の幸せを祈ることであり、その祈りのこころが広まったらより良い世界になるだろう、と教えることも忘れていない。が、こういう(自分は破戒坊主です、と言い切ってしまう)ところにも魅力があるのだろう。

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