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2009/05/24

川端裕人 「PTA進化論」感想 part 1

川端裕人氏の「PTA再活用論」のその後、と言ってもいいような連載記事が共同通信から各地方紙に配信されている。14回分の連載を読む機会があったので、感想というか自分の経験も含めたまとめメモとして書いておく。

現在のPTAの「強制感」あふれる組織については、川端氏が書かれている通り。これを書いている2009年度は副会長として中学校PTAにかかわっている自分はこの「強制」を推進する側でもあり以前はくじ引きで成人教育委員会に参加した「強制」に巻き込まれた側でもある。

PTAの委員会を構成する常任委員の決め方にも強制的な感覚はある。うちの学校の場合の決め方こんな風。

常任委員は新三年生の保護者から立候補とくじ引き。立候補があれば文句なしに決まる。残りはくじ引きにより決定。
委員の業務をできない人は参加者全員に対して説明し「免除」を承認されることが基本的には必要。次期本部を指名する指名委員会もこのときに同じやり方で決める。

会則にはこの「くじ引き」までは決まっていないので、会則の変更なしで決め方を変えることはできる。ただ、くじ引きで決まった新常任委員を前にして「今後はボランティア組織に移行します」というのもどうかな、というためらいがあった。また、学校側からは学校を応援する保護者の組織として「PTA」が期待されている部分については「PTAという組織ではない形のこういうことをやりますよ」、と提案して安心してもらう必要はあるだろうがその準備をする時間もないし、というような言い訳をしつつ体制変更は全くできなかった。

川端氏の書いている
一方、学校や行政は、自発的に組織され、自由に入退会でき、それでもみんなが入っている理想的"保護者団体"としてPTAを厚遇する。それが錯覚だと知る人は多いが言葉にされない。無理を重ねて今の社会的位置づけを得て、役員や委員はどんどんきつくなる。
については自分にも記憶がある。小学校で一年だけ副会長をしたとき、入学式(その年は週休2日が始まった年でもあった)で教育委員会の来賓が保護者に向かって「何かあったらPTAに言ってください」と言ったことがある。何気なく出た言葉だったのだろう。しかし、PTAはそもそも学校における問題を保護者に代わって解決する場ではないのだから(保護者が学級PTAなどで培った人間関係が解決に寄与することはあるのは川端氏の連載にもあるとおりだ)この発言はそもそも責任回避ではないのかなあ、と強く違和感を感じたことを思い出した。彼(男性だった)から見ればPTAとはそれほど確固とした組織のイメージがあったと今は理解できる。

現在の単Pの「他から期待された」役割を自分なりにまとめると

  • 集金団体 (市P連、県P、日Pへの上納金をまとめる役割)
  • 互助会(県Pの互助会への加入をまとめる役割)
  • 役所とのインタフェース(市、教育委員会、教育事務所など行政との窓口)

の3つが主だ。これとは別に学級に属する保護者間のコミュニケーションである学級PTAや校外委員会などの地域向けの活動がある、という感じだ。
おそらく人それぞれに感じ方は違うと思う。

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